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竹原町
この項目では、広島県の旧自治体について説明しています。碧南市の地名については「
竹原町 (碧南市)
」をご覧ください。
たけはらちょう
竹原町
廃止日
1958年11月3日
廃止理由
新設合併
竹原町
、
忠海町
→
竹原市
現在の自治体
竹原市
廃止時点のデータ
国
日本
地方
中国地方
(
山陽地方
)
都道府県
広島県
郡
豊田郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
総人口
23,001
人
(
国勢調査
、1955年)
隣接自治体
本郷町
、
三原市
、忠海町、
安芸津町
、
賀茂郡
西条町
・
高屋町
・
河内町
竹原町役場
所在地
広島県豊田郡竹原町
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
竹原町
(たけはらちょう
[
1
]
)は、
広島県
豊田郡
にあった
町
。現在の
竹原市
の一部にあたる。
地理
海洋:
瀬戸内海
[
2
]
河川:
賀茂川
、本川
[
2
]
歴史
1889年
(明治22年)
4月1日、
町村制
の施行により、
賀茂郡
下市村が単独で村制施行し、
下市村
(しもいちむら)が発足
[
3
]
[
4
]
。
4月17日、下市村が町制施行し、名称を変更して
竹原町
となる
[
1
]
[
2
]
。大字は編成せず
[
2
]
。
1910年
(明治43年)ブドウ栽培開始
[
2
]
1937年
(昭和12年)昭和鉱業銅精錬所開設
[
2
]
1952年
(昭和27年)4月1日、賀茂郡
下野村
と合併し
竹原町
が存続
[
1
]
[
2
]
。旧竹原町域を竹原、旧下野村域を下野とする2大字を編成
[
2
]
。
1954年
(昭和29年)3月31日、賀茂郡
東野村
、
豊田郡
大乗村
・
南方村
(一部)を編入
[
1
]
[
2
]
。東野、浦福田、高崎、小梨の4大字を加え6大字となる
[
2
]
。
1955年
(昭和30年)3月31日、賀茂郡
荘野村
、豊田郡
田万里村
と合併し、
竹原町
が存続
[
1
]
[
2
]
。西野、新庄、田万里の3大字を加え9大字となる
[
2
]
。
1956年
(昭和31年)
4月1日、
豊田郡
に所属が変更
[
1
]
[
2
]
。
9月30日、豊田郡
吉名村
・
賀永村
(一部)を編入
[
1
]
[
2
]
。吉名、仁賀の2大字を加え11大字となる
[
2
]
。
1958年
(昭和33年)11月3日、豊田郡忠海町と合併し、市制施行して
竹原市
を新設して廃止された
[
1
]
[
2
]
。
産業
果樹、製塩業
[
2
]
交通
鉄道
1932年
(昭和7年)国有鉄道三呉線(現
呉線
)が開通し、
竹原駅
開設
[
2
]
。
教育
1905年
(明治38年)私立竹原女学校開校
[
2
]
(現
広島県立竹原高等学校
)
1942年
(昭和17年)県立竹原商業学校開校
[
2
]
名所・旧跡
忠孝岩(礒宮八幡神社境内、県指定史跡)
[
2
]
唐橋常陸介
之墓(長生寺、県指定史跡)
[
2
]
頼惟清旧宅(県指定史跡)
出身人物
頼杏坪
(詩人、儒学者)
頼春水
(詩人、儒学者)
頼春風
(詩人、儒学者、医師)
頼鷹二郎
(竹原製塩社長)
頼俊直
(製塩業、広島県多額納税者、衆議院議員、
名望家
、資産家、大地主) - 頼春風の
曽孫
である。
頼桃三郎
(国文学者)
脚注
^
a
b
c
d
e
f
g
h
『市町村名変遷辞典』458頁。
^
a
b
c
d
e
f
g
h
i
j
k
l
m
n
o
p
q
r
s
t
u
v
『角川日本地名大辞典 34 広島県』501-502頁。
^
『角川日本地名大辞典 34 広島県』417頁。
^
『市町村名変遷辞典』377頁。
参考文献
角川日本地名大辞典
34 広島県
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
広島県の廃止市町村一覧