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立花証券
立花証券株式会社
THE TACHIBANA SECURITIES CO., LTD.
種類
株式会社
本社所在地
日本
〒
103-0025
東京都
中央区
日本橋茅場町一丁目13番14号
設立
1948年
(昭和23年)4月(創立記念日は
1953年
(昭和28年)9月1日)
業種
証券、商品先物取引業
法人番号
7010001049582
金融機関コード
9574
事業内容
金融商品取引業
代表者
代表取締役
社長
石井登
資本金
66億9570万円
発行済株式総数
33,646,199株 (2019年6月末日時点)
営業利益
97億8,277万円 (2021年3月末日時点)
純資産
568億円
従業員数
477名
外部リンク
https://www.1ban.co.jp/
特記事項:関東財務局長(金商)第110号
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立花証券株式会社
(たちばなしょうけん)は、
東京都
中央区
に本店を置く日本の
証券会社
。
沿革
1953年
(昭和28年) 3月
石井久
が29歳の時に石井株式研究所を創立。
1953年
(昭和28年) 9月1日 社員13人、資本金500万円で江戸橋証券を創業する。
1957年
8月 東証正会員であった立花証券(社員32人、資本金1000万
1948年
(昭和23年)4月設立)を買収し、合併する。江戸橋証券を清算し、立花証券の名称を存続する。
1958年
11月 顧客向けの投資情報誌、「立花月報」をはじめる。
1960年
電話による通信取引などにより、東証の出来高上位20位にランクインする。
1973年
石井久が社長を退任し、会長職に就く。中田忠雄が社長に就任する。
1974年
日本橋茅場町の現在の社屋に本店を移転
[
1
]
。
1982年
石井久が再度社長に就任する。
1988年
福園一成が社長に就任する。
1990年
総合証券会社に移行する。
1994年
2月 香港現地法人を設立。
2000年
石井登が社長に就任する。
2002年
9月 インターネット取引開始。
2006年
6月20日
アドウェイズ
株の誤発注を起こす。
2011年
6月28日
取締役相談役であった石井久が取締役を退任
[
2
]
。
脚注
[
脚注の使い方
]
^
リクナビ
^
ラジオニッケイKJネット2011-5-24
関連項目
清水一行
(創業者である石井久をモデルとした経済小説『大物』を執筆する)
外部リンク
立花証券ホームページ
立花証券e支店
典拠管理データベース
全般
VIAF
国立図書館
日本