立川 洋三(たつかわ ようぞう、1928年7月5日 - 2011年10月11日)は、日本のドイツ文学者。立教大学名誉教授。
人物
愛知県名古屋市出身。東京大学文学部独文科卒業。
立教大学文学部独文科にて助教授、教授を務めて1994年に退職し、名誉教授。
1964年には「ラッペル狂詩曲」で芥川賞(下期)候補に上った経歴を持ち、大学教授を引退した後に小説執筆を再開した。
2011年10月11日、胃癌のため神奈川県横浜市鶴見区の病院で死去[1]。83歳没。
著書
- 分詞の用法 三修社 1960.7 (ドイツ語文庫)
- ラッペル狂詩曲 筑摩書房 1969
- フォンターネの世界 春光社 1988.12
- 異説の足どり 立川洋三作品集 夏目書房 1996.1
- 朝焼け 立川洋三短篇集 近代文芸社 1999.2
- 悪魔の子守唄 近代文芸社 2000.9 (近代文芸社新書)
- 聖ゲルトラウデ 作品社 2002.6
- 幸福のバラード 作品社 2003.5
- 解体白書をもう一度 東洋出版 2005.9
- 勿笑草(わらうなぐさ) 朝日出版社 2009.6
- いつの日にか 朝日出版社 2009.10
翻訳
記念論集
- 探究ドイツの文学と言語 立川洋三先生定年退職記念論文集 東洋出版 1995.3
脚注
- ^ 立川洋三氏死去(作家、立教大学名誉教授・ドイツ近代文学) 時事通信 2011年10月19日閲覧
参考資料