秋葉神社 (長野市権堂町)
秋葉神社(あきばじんじゃ)は、長野県長野市鶴賀権堂町にある神社。 長野市の繁華街である権堂の中心であり、社務所・公民館・権堂町事務所が境内にある。境内前から旧イトーヨーカドー長野店(現 綿半スーパーセンター権堂店)に続く「ごんどう広場」は、1988年(昭和63年)に市の都市景観賞を受賞している[1]。また、越年祭・節分・七五三など、多くの行事が秋葉神社を中心に行われる。 沿革もともと往生院の境内にあったが、1847年(弘化4年)善光寺地震で焼失。1855年(安政2年)遠江国秋葉山から神像を勧請し[2]、裏権堂通りの南の外れに移した[1]。この頃、祭礼などは各五人組が当番で行っていた[1]。 地震後の社殿は仮殿だったらしく、権堂村では1865年(慶応元年)から再建に取り掛かり[1]、翌年には完成した[2]。大工は妻科の宮大工・池田(立川)文四郎ではないかと推測される[2]。 1877年(明治10年)遊郭道路が新設されて社地の一部が道路になり、1891年(明治24年)停車場新道(千歳町通り)が開通して、また社地の一部を削られた。さらに1894年(明治27年)に遊郭道路を改修することになり、秋葉神社境内中央が通路になることになったので、権堂町は社地400坪を売って現在地に1000坪の地を買い、同年11月にそこへ本殿を移し、1897年(明治30年)5月、遊郭の人々が拝殿を建て、権堂町は基金を寄付した[1]。なお、移転に伴う工事のため、ご神体は一時武井神社に安置されることとなった[3]。 1934年(昭和9年)2月3日の節分には、秋葉神社の玉垣、社務所が新築されたため、例年にない盛大な追儺祭が行われた。同夜は7時花火を合図に50名の権堂芸子が区長宅から木遣り音戸で繰り出し、8時神社に至り厄除け祈願をしたのち「鬼追い福は内」を舞い、続いて年男年女の豆まきをやり、芸子の名入りの手ぬぐい千本などがまかれた[4]。 その後も秋祭り、例祭など事あるごとに権堂では盛大な祭りを行ってきた。1951年(昭和26年)2月8日の夜の追儺祭では、豆まき見物1000余名の群衆にもまれ、転んだ拍子に後ろの人に踏まれた18歳の女性が意識不明で病院に運ばれている[5]。 1962年(昭和37年)敷地の大部分を大型店に譲り、秋葉神社を大峰山に移す計画が倉島至長野市長から出る。1978年(昭和53年)のイトーヨーカ堂長野店開業までの間、様々な賛否両論の議論が巻き起こるが、結局は現状に近い形で残されることとなった[5]。 境内には天神社・稲荷社もあったが、1971年(昭和46年)に廃止になった。 1977年(昭和52年)、イトーヨーカ堂に境内の一部を貸与。その一部は権堂広場と名付けられた[2]。 1978年(昭和53年)1月末日には、旧社務所跡地に社務所・権堂町公民館が新築落成した[6]。 境内
主な祭日
脚注
参考文献
外部リンク |