秋月 新太郎(あきづき しんたろう、1841年9月13日(天保12年7月28日)[1] - 1913年(大正2年)5月10日[2])は明治時代の日本の官僚、漢詩人。女子高等師範学校長、貴族院議員を務めた。号は天放。
経歴
豊後国佐伯藩(現在の大分県佐伯市)の藩儒秋月橘門の長男として生まれ、咸宜園で学んだ。1871年(明治4年)、兵部省(のち陸軍省)に出仕し、兵部大録に進んだ[1]。西南戦争の際には征討軍団書記官として従軍し、さらに陸軍省総務局報告課長、参謀本部編纂課長、太政官少書記官、参事院議官、太政官権大書記官を歴任した[1]。その後内務省で参事官、図書局長、大臣秘書官を歴任した[1]。
1894年(明治27年)、女子高等師範学校校長に就任して1897年(明治30年)まで務め、文部省参事官も兼ねた。
1899年(明治32年)、貴族院議員に勅選され、死去するまでその職にあった。
栄典
- 位階
- 勲章等
著作
- 『女子教育管見』 女子高等師範学校編輯、女子高等師範学校、1895年6月
- 『天放存稿』 秋月新太郎、1897年4月
- 『知雨楼詩存』 秋月新太郎、1912年(3冊)
脚注
- ^ a b c d 『人事興信録』
- ^ 『官報』第235号、大正2年5月14日
- ^ 『官報』第2322号「叙任及辞令」1891年3月31日。
- ^ 『官報』第719号「賞勲叙任」1885年11月21日。
- ^ 『官報』第1935号「叙任及辞令」1889年12月9日。
- ^ 『官報』第4196号「叙任及辞令」1897年6月29日。
参考文献
関連文献