神聖ローマ帝国の皇后一覧では、神聖ローマ皇帝の妃、皇后(ドイツ語: Kaiserin)を列挙する。神聖ローマ帝国では男性のみが皇帝に選出されることが定められていたため、東ローマ帝国やロシア帝国に見られるようないわゆる「女帝」は存在しなかった。ただし、テオファヌ(オットー2世妃、オットー3世摂政)やマリア・テレジア(フランツ1世妃)のように、絶大な権威と権力を握り事実上の女帝のようにふるまった皇后もいた。
初期のフランク・ローマ皇后
中世西ヨーロッパの皇帝系統はフランク王国のカール大帝に始まる。これにより創始されたカロリング帝国は間もなく分裂し、東フランク王(ドイツ王)を含む諸王で皇帝位が揺れ動いた。そのため、この頃は必ずしもドイツ王が皇帝、その妃が皇后というわけではなかった。
カロリング朝
神聖ローマ皇后/ドイツ王妃
962年にドイツ王オットー1世が「ローマ王にして皇帝」になって以降、ローマ王位および皇帝位にはドイツ王がついた。ただし、ドイツ王でありながら皇帝に即位できなかった者も多数存在する。以下ではそのような例を除き、正式に皇帝となった者の妃のみを列挙する。
ザクセン朝
ザーリアー朝
ズップリンブルク朝
画像
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名前
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父
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生年
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結婚
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立王妃
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立后
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降位
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没年
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配偶者
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リヒェンツァ・フォン・ノルトハイム
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ノルトハイム伯ハインリヒ・デア・フェテ
(ノルトハイム家)
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1087/89年ごろ
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1100年ごろ
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1125年8月30日
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1133年6月4日
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1137年12月4日
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1141年6月10日
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ロタール3世
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画像
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名前
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父
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生年
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結婚
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立王妃
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立后
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降位
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没年
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配偶者
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ホーエンシュタウフェン朝
ヴェルフ朝
ホーエンシュタウフェン朝
ヴィッテルスバッハ朝
ルクセンブルク朝
ハプスブルク朝
ヴィッテルスバッハ朝
ハプスブルク=ロートリンゲン朝
関連項目
脚注
- ^ 東ローマ皇女であるアンナは、ルイ3世と結婚していないとみる歴史家もいる。2人が婚約したのは確かであるが、アンナはコンスタンティノープルに葬られており、父帝のもとから生涯離れることが無かったとうかがえるからである。一方で、2人は実際に結婚していたと主張する歴史家は、ルイ3世の息子であるヴィエンヌ伯シャルル・コンスタンティンの名が裏付けであるとしている。
- ^ "Saint Kunigunde", New Catholic Dictionary, Saints.SQPN.com, 7 October 2012, [1]