石川村文
石川 村文(いしかわ むらふみ)は、江戸時代の伊達氏家臣。仙台藩の家格は一門筆頭。角田石川家第9代当主。 生涯寛延3年(1750年)6月8日、角田石川家第8代当主・石川村俊の四男として生まれる。幼名は小膳。宝暦8年(1758年)兄源太郎が早世したため、嗣子と定められる。 宝暦10年(1760年)10月15日、元服し、藩主伊達重村の偏諱を受け、修理村文と名乗る。後に大和、左衛門と名乗った。宝暦12年(1762年)5月、父村俊の死去により、13歳で家督を相続し角田邑主となる。年齢が年齢のため、本藩より家政を監督する目付が付けられた。 寛政9年(1797年)遊興に耽り、財政が逼迫したため、不行跡を理由に隠居させられることとなり、家督を嫡男村任が相続。村文の実弟で、涌谷伊達氏当主伊達村常が家政を後見することとなる。 参考文献
|