石井英橘
石井 英橘(いしい えいきつ、1881年(明治14年)11月30日[1] – 1945年(昭和20年)9月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴1881年(明治14年)11月、和歌山県に石井武次郎の二男として生まれた。1901年(明治34年)11月22日に陸軍士官学校(13期)を卒業し、1902年(明治35年)6月23日に工兵少尉に任ぜられ、同日付で鉄道大隊付に補される[2]。1904年(明治37年)8月2日に工兵中尉に昇進[3]し、1907年(明治40年)12月18日に陸軍砲工学校(13期)高等科を卒業後、同月21日に工兵大尉に昇進し鉄道連隊付に補せられた[4]後、1912年(明治45年)7月10日には東京帝国大学理科大学実験物理学科を卒業した[5]。その後、陸地測量部班長を経て、1916年(大正5年)5月2日に工兵少佐に昇進[6]し、陸軍砲工学校教官を経て、1919年(大正8年)11月1日に工兵中佐に昇進[7]。1923年(大正12年)8月6日には工兵大佐に昇進し陸地測量部三角科長を命ぜられ[8]、工兵第十六大隊長を経て、1928年(昭和3年)8月10日、陸軍少将に昇進し陸軍科学研究所第一部長に就任[9]。その後、陸地測量部長を歴任し、1932年(昭和7年)12月7日、陸軍中将に昇進[10]し、同日付で待命となり、同月27日予備役に編入された[11]。 栄典
脚注
参考文献
|