石に泳ぐ魚『石に泳ぐ魚』(いしにおよぐさかな)は、柳美里の小説第1作。『新潮』1994年9月号初出。同年12月、柳はこの作品のモデルとなった女性により、プライバシー権及び名誉権侵害を理由として損害賠償、出版差止めを求める裁判を起こされる。 あらすじ演出家風元が率いる劇団に所属し、新人劇作家として活動する「私」(梁秀香)は、新作の韓国公演の打ち合わせのために、韓国の女優である小原ゆきのと訪韓する。ソウルで、ゆきのの友人で大学で彫刻を学ぶ朴里花を紹介される。 「私」の両親は10年間別居状態にあり、妹の良香は売れない女優の仕事をし、弟の純晶はファミコンの競馬ゲームにのめりこむあまり精神を病み入院を余儀なくされる。父は、もう一度家族一緒に暮らすために一軒家を建てる計画を提案するが実現しない。古びた平屋で雑種犬と生活を共にする「柿の木の男」を拠り所として感じている「私」だが、風元の家に通い、さらに写真家の辻とも関係を持つ。 美術大学の大学院を受験するために里花が日本にやって来る。里花は自分の顔について何も語らない「私」に、言葉にするように詰め寄る。女を連れこんだ風元のもとを去った「私」は辻の子供を妊娠するが、流産する。自分の元から弟、父、風元、辻と一人ひとり去っていくことに寂しさを感じる。 新興宗教に入信した友人を取り戻すため韓国に帰った里花だが、ミイラ取りがミイラになってしまう。里花を説得するために教団の施設を訪れ面会した「私」は、里花が憎しみを介在させることなく触れ合うことができる唯一の存在であったことに気づくが、「柿の木の男」の幻影とともに里花は立ち去っていくのであった。[1] 経緯1994年8月上旬、『新潮』9月号の巻頭に柳美里の小説第1作「石に泳ぐ魚」が一挙掲載される。 『新潮』に発表して1か月ほど経った頃、柳の留守番電話にモデル女性より「至急連絡がほしい」旨のメッセージが残される。折り返し電話をし、話し合いの末に柳より「書き直して欲しいと思う箇所を指摘してくれ」とモデル女性に提案する。モデル女性より挙げられた7、8箇所の訂正箇所を修正し、訂正版をモデル女性に手渡す(この時点では、里花の顔を直截的に描写している唯一の部分である戯曲形式のパートは書き直しの要求を受けていない[2])。 モデル女性より「訂正版を以ってしても出版を許すことができない」旨の返事があり、10月14日に東京地方裁判所に「出版差し止めの仮処分」が申請される。 審理は4回にわたり、里花の顔に腫瘍があるという設定を廃止し、障害の直接的な描写を削除。また、里花の属性(出身大学、進学先、専門課程、サークル、友人知人、父の職業・経歴)を大幅に変更した。裁判所は、両者の意見を聞き、「原型(『新潮』版)のままでの公表はしない。この小説を公表する場合には、改訂版原稿のとおりの訂正を加えたものとする」という和解案を示し、モデル女性側は、仮処分の申請を取り下げた。 しかし、12月にプライバシー権及び名誉権侵害を理由として損害賠償、出版差し止めを求める訴えを起こす。 訴訟と社会への反響
訴訟は最高裁判所で柳側敗訴の判決が言い渡され確定した[3]。 判決の骨子は「『新潮』に掲載された作品は、出版、出版物への掲載、放送、上演、戯曲、映画化等の一切の方法による公表をしてはならない。謝罪広告の掲載、改訂版の出版差し止め請求ほかの請求は棄却」[4] 柳美里によるプライバシー権及び名誉権侵害行為によって、被害者が重大な損害を受けるおそれがあり、かつその回復を事後に図ることが困難になる。被害者は大学院生にすぎず公共的立場にあるものではなく、雑誌掲載小説が単行本として出版されれば被害者の精神的苦痛が倍増され、平穏な日常生活を送ることが困難になる。文学的表現においても他者に害悪をもたらすような表現は慎むべきである旨を、最高裁は判決理由で指摘した。 判決確定から約1か月後に、モデル女性の周辺情報や腫瘍のある顔について直接的に描写した箇所を60箇所以上修正した『石に泳ぐ魚』改訂版を出版[5]。 この一連の騒動は、仮処分の段階から柳に対する非難や擁護や「文学における表現の自由」をめぐっての論議が起き、マスコミ・論壇・文学界から大きな注目を集めた。高井有一、島田雅彦、竹田青嗣、福田和也、清水良典が柳側の陳述書を提出し、車谷長吉、高橋治、加藤典洋らが判決を批判した。 文学的評価としては、「『私』の心の荒廃の背後にあるものは、見通しよく描かれているし、日本生まれで、韓国の陶芸界に革命をと夢見る三世の女友だちへの共感にも、汲みとりにくいところはない。『私』の彷徨の道筋ということだけならば、渋滞や混濁は見当たらないと言ってよい。それなのに、『私』をたえず苛らだたせる不安の正体は、読者の前にはっきり現れてこない。」(菅野昭正、東京新聞夕刊「文芸時評」1994年8月24日)、「このジャンルに初めて挑戦する若い劇作家が、これほどの素朴さで小説への武装解除を受け入れてしまうことにはいささか驚かざるをえない。『自分の顔の中には一匹の魚が棲んでいる』という女陶芸家のさからいがたい誘惑からどう逃れるかが最後に問われているこの比喩的な長編は、小説のイメージに対してあまりに無防備すぎはしまいか。」(蓮實重彦、朝日新聞夕刊「文芸時評」1994年8月29日)といった否定的意見も散見される。 一方原告側は、坂本義和、五十嵐武士、下斗米伸夫ら国際政治学者のグループが支援した。 憲法学においては、この最高裁判決は名誉・プライバシー権と表現の自由をめぐる重要判例の一つとされている[注 1]。 文献石に泳ぐ魚
柳美里の主著
新潮社の主著評論
関連人物脚注注釈
出典関連項目外部リンク判決全て須賀博志の憲法講義室による。 その他
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