知取町(しるとるまち)は、日本の領有下において樺太に存在した町(指定町村)。
知取という地名は、アイヌ語の「シル・ウトル(シリ・ウトル)」(土地の中間、山と山の間)、「シロトロナイポ」(村と村の間の沢)に由来[2]。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照。現在ロシア連邦がサハリン州マカロフとして実効支配している。
概要
- 樺太東海岸に位置していた。
- 町内を流れる知取川が、製紙原料となる原木を流送するために利用されていた。
- 知取川河口付近には、製紙原料の原木を川から引き揚げて製紙工場に運び込むためのトロッコが存在した。2019年6月現在もコンクリート構造物が残っていた。[3]
- 町内には遊仙閣という鉱泉があり賑わっていた。
- 知取区裁判所の所在地であった。
歴史
町内の地名
- 旧東知取村地域
- 知取(しりとり)
- 相馬(そうま)
- 北遠古丹(きたえんこたん)
- 上遠古丹(かみえんこたん)
- 矢向(やんげ)
- 宗司(そうし)
- 東礼文(ひがしれぶん)
- 知取沢(しるとるざわ)
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- 宝沢(たからざわ)
- 扇ノ沢(おうぎのさわ)
- 上滝沢(かみたきのさわ)
- 岩清水沢(いわしみずさわ)
- 冷泉沢(れいぜいざわ)
- 六段沢(ろくだんざわ)
- 鈴福沢(すずふくざわ)
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- 旧東柵丹村地域
- 東柵丹(ひがしさくたん)
- 東柵丹沢(ひがしさくたんざわ)
- 大鵜取(おおうとる)
- 大鵜取沢(おおうとるざわ)
- 小鵜取(こうとる)
- 愛博(あいはく)
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- 柵内(さんない)
- 磯牛(いそうし)
- 茶釜(ちゃがま)
- 保加内(ほかない)
- 東雲沢(しののめざわ)
- 境川(さかいがわ)
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地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[5]。
国民学校
- 樺太公立大鵜取国民学校
- 樺太公立東柵丹国民学校
- 樺太公立知取第一国民学校
- 樺太公立知取第三国民学校
- 樺太公立知取沢国民学校
- 樺太公立北遠古丹国民学校
- 樺太公立上遠古丹国民学校
- 樺太公立東礼文国民学校
中等学校
脚注
- ^ 知取町役場土曜会40周年記念誌 ふれっぷ p.216((樺太)知取町役場土曜会・編 (樺太)知取町役場土曜会 1988年)より。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.414 - 415
- ^ NHK Eテレ ハートネットTV「故郷へ~サハリン“樺太”で生まれた ろう者の戦後~」(2019年9月28日放送)より。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1691、p. 1693
関連項目