睦睦(ぼく)は、漢姓の一つ。 中国の姓
睦(ぼく、Mù)は、漢姓の一つである。 出自筆頭に挙げられるのは、明の陳士元の『姓觿』に拠って、古の帝である栗睦氏(栗陸氏とも称する)の後裔である、というものである[1]。この説は、日中民族科学研究所編 『中国姓氏事典』(1983[1978])でも「上古、栗陸氏の子孫がこの姓を伝えた。」と述べている[2]。次に挙げられているのが、胡姓(西方の異民族由来の姓氏)というもので、『中国姓氏事典』(1983[1978])でも「一説には西方の胡姓であるという。」と言い[2]、『中国姓氏大辞典』(2010)でも「【源出】」の②として挙げられており、こちらでは具体的に「②西胡の姓、『古今姓氏書弁証』に見える。唐の時、涼州の胡の睦伽佗が侵攻をした」と記している。『中国姓氏大辞典』(2010)は更に、特定の民族の姓氏として「【民族】」の欄に「朝鮮族の姓」と記している(→#朝鮮の姓)[1]。 郡望分布やや幅広く分布しており、おおよそ全国人口の0.0009%を占め、四川省・寧夏回族自治区・吉林省・重慶市の四つの省と自治区と市にこの姓が多く、全国の睦姓人口の約89%を占める[1]。吉林省に多いのは、地理的に朝鮮半島に接しており、歴史的に朝鮮民族が多いためである。現に吉林省には延辺朝鮮族自治州と長白朝鮮族自治県がある。この地域の朝鮮民族の居住については間島を参照。 著名な人物朝鮮の姓
睦(ぼく、목: モク)氏は、朝鮮人の姓氏の一つである。2015年、大韓民国統計庁の人口住宅総調査で8,848名と調査され、韓国姓氏人口順位113位である[3]。 文献に伝わる本貫は泗川睦氏を始めとして、水原・南平・慶州・泰仁・桂陽・沃川・全州・多仁(醴泉)の9本があるが、現存する貫郷は泗川睦氏単本である[4]。高麗朝で門下賛成事の睦仁吉・睦忠・睦子安らが栄達していて、朝鮮朝では左議政・右議政に昇った睦来善ら、泗川睦氏は朝鮮時代、科挙及第者132名、文科及第34名を輩出(現在、人口千名あたり及第者数1位の姓氏)、堂上官は21名を輩出することで、もって名門大家の地位を維持していった。 著名な人物
起源睦氏の起源については三説が存在する。
しかし、金鎮宇は『韓国人の歴史』(2010)で、睦氏は元来、中国の趙郡(現在の河北省石家荘市)から出世した姓氏であるという説を述べている[4]。この説に従えば、上述の「中国の姓」の#著名な人物として挙げられている睦予が始祖、あるいは係累であることが示唆される。 氏族今日、本貫は泗川睦氏が大宗である。泗川睦氏の始祖は高麗の時郎将であった睦孝基である。特に朝鮮中期には多くの人物を輩出した。
人口と割合
脚注注釈出典参考文献
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