真宗大谷派竹鼻別院
真宗大谷派竹鼻別院(しんしゅうおおたにはたけはなべついん)は、岐阜県羽島市にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。旧称は御坊専福寺[3]。 沿革嘉禎元年(1235年)、親鸞が東国より帰京する際に三河国に立ち寄り、住民に説法していることを聞いた尾張国葉栗郡門間庄(現在の岐阜県羽島郡笠松町)の住人9名(後の河野九門徒)が帰依し、尾張国葉栗郡木瀬(現在の岐阜県羽島郡岐南町)に草庵を建立したのが始まりとされる。 文明2年(1470年)、蓮如がこの地を訪れた際、この草庵を再興。新加納(現在の各務原市)に移転して河野御坊と名づける。この地域には浄土真宗に改宗した寺院が多く、蓮如の足跡が多く残されている。 慶長9年(1604年)、教如により新加納から美濃国羽栗郡竹ヶ鼻村(現在の羽島市)に移転し、時期は不明だが「専福寺」に改称している。なお、河野御坊の一部は中屋(現在の各務原市)に移転し、河野西入坊となっている。 明治24年(1891年)10月28日、濃尾地震で罹災し、堂宇が倒壊する。仮本堂を建立する。 大正11年(1922年)、第10世伊藤平左衛門を棟梁として再建される。 境内竹鼻別院の藤竹鼻別院の境内にある藤は、推定樹齢300年以上[3]。枝張りは東西約30m、南北約15mの大木である。単独の1本の藤としては日本有数の大きさであり、岐阜県指定天然記念物である[2]。 毎年4月下旬~5月上旬には、「みの竹鼻まつり・ふじまつり」が開催され、竹鼻別院はその会場の一部となる。 河野九門徒河野九門徒とは、尾張国葉栗郡にある、親鸞・蓮如にゆかりのある9つの寺院の総称である。河野は河野郷(河沼郷)のことという。 上記沿革のとおり、嘉禎元年(1235年)、親鸞が東国より帰京する際に三河国に立ち寄り、その説法を聞いた門間庄の住人9名が帰依し、草庵を建立する。文明2年(1470年)に、蓮如が草庵を再興し、かつて親鸞の説法を聞いて帰依した9人の門徒の子孫の寺院を「河野九門徒」と名づけたと伝えられる。 河野九門徒は、美濃国・尾張国の浄土真宗の中心となったという。現在もこの地域の寺院は、「河野」の字を冠する寺院名が多い。
所在地
脚注
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