番組基準
番組基準(ばんぐみきじゅん)とは、日本の放送法第5条に定められた、放送事業者(一部を除く)が制定・公表することが義務づけられている放送番組の編集基準(放送コード)のことである。 この項目では同基準自体の概要および、これに基づく自主規制のあり方自体について説明する。具体的な規制例や、あらかじめ例外的に法律で放送してはいけないと定められている内容に関する事項については放送禁止#日本における放送禁止の対象参照。 概要沿革1923年、日本のラジオ放送開始に先立って、放送番組の実施に関する規制「放送用私設無線電話規則」が定められた。この規則が定めていたのは逓信省による放送内容の事前検閲であった。このほか、多くの行政規則が放送事業を縛っていた(放送禁止事項参照)。 戦後日本における放送番組に関する基準制定の嚆矢は、1945年9月22日にGHQによって指令された「SCAPIN-43 日本に与うる放送準則」、通称「ラジオコード[1]」であった。ただし、この指令は進駐軍に関する報道が一切禁じられるなど、依然検閲の要素を含んでいた[2][3]。 1950年(昭和25年)の放送法制定の際、3条に検閲を禁じる「放送番組編集の自由」に関する条文が設けられたが、この自由を担保するための明文化した基準を制定することは求められていなかった。しかし民間放送、とくに民放テレビの開局以降、ドラマ・映画・プロレス中継等のアクション描写が青少年非行につながるのではないかという懸念や、「一億総白痴化論」に代表されるような低俗番組批判に放送界全体がさらされるようになった[4][5]。 そんな中、就任したばかりの郵政大臣・田中角栄が1957年9月16日の第26回国会衆議院逓信委員会において、前の月の失言(番組内容を審査するための機関を郵政省内に設置する構想を新聞上で表明し、政府による言論介入と批判を浴びた)[4]の釈明の形で、すべての放送事業者に「自主的に番組審議会等を作っていただきたい[6]」という異例の呼びかけを行った。この発言の前後から、放送事業者では、すでに政府の先手を打つように、放送番組に関する独自基準が整いつつあった[4]。 1959年(昭和34年)の放送法改正によって、放送事業者が番組基準を設けることが初めて明文化された[5]。 日本民間放送連盟(民放連)および日本ケーブルテレビ連盟(JCTA)では、加盟局全体に準用するための「放送基準」を策定し、各局は「番組基準」として「(民放連/JCTA)放送基準に準拠する」と明記した条文を制定することで一体的に対応している(例→[7][8])。 制定歴
規制放送事業者は、放送番組の種別や、放送の対象に応じて番組基準を策定し、これに基づき、放送番組を制作しなければならない。なお、その策定や改定に際しては、放送法6条に基づき、各事業者の放送番組審議機関(=放送番組審議会)に諮問しなければならない。 その公表については、総務省令放送法施行規則4条に基づき、放送だけでなく、「事務所への備置き」、インターネットの利用など、「できるだけ多くの公衆が知ることができる方法」によって行われなければならない。 なお放送法8条・88条・146条および放送法施行規則7条に基づき、基幹放送事業者のうち受信障害対策中継放送用中継局・臨時目的放送局・放送大学、そして届出一般放送事業者は、番組基準の制定義務を負わない。 放送法8条および放送法施行規則7条においては、以下の放送内容について番組基準を適用しないものとしている。 ただしCMに関しては、民放連およびJCTAが放送基準において自主規制を定めている[16][17](コマーシャルメッセージ#日本のCM規制参照)。 主な内容
脚注
関連項目外部リンク
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