玉窓寺 (東京都港区)
歴史1604年(慶長9年)、玉窓秀珍大禅尼の開基である。ただ実際の創建者は禅尼の母親である。玉窓秀珍大禅尼は青山忠成の娘で川口近次の妻であったが、1601年(慶長6年)に死去した。禅尼の母親は娘のために青山家の江戸下屋敷の一角に寺を創建した。これが当寺の起源である[1]。 1682年(天和2年)、青山家の敷地内であるが紀州徳川家の屋敷地の境界付近に移転した[1]。 1879年(明治12年)、仮御所(旧紀州藩邸)の敷地となったため、現在地に移転した[1]。 墓所以下の人物が葬られている[1]。
交通アクセス
脚注参考文献
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