熊木 令次(くまき れいじ、1922年(大正12年)8月22日[1][2] - 2015年(平成27年)7月22日[2])は、日本の地方公務員、政治家。東京都東村山市長(4期)[2]。
経歴
東京府北多摩郡東村山村(東村山町を経て、現・東村山市)生まれ。旧制東亜商業学校(現東亜学園高等学校)を経て、脇田簿記学校卒[1]。戦後、東村山町役場に入る。役場では収入役、総務課長、助役を務め、助役時代の1964年(昭和39年)に東村山町は市制施行により東村山市となった。市制施行後も助役として初代市長の小山林平を補佐した。
1967年(昭和42年)東村山市長選挙で当選[1]。市内に都立高校の設置、保健所や税務署の誘致、水道事業を都に一元化させ、都市基盤と生活環境の整備、福祉の充実と、市民の健康増進、教育文化の向上などに積極的に取り組んだことにより、市民の信頼を得た[1]。このほか東京都市長会会長、全国市長会理事及び関東支部役員などを務めた[1]。市長は4期務め、1983年(昭和58年)に退任した。
脚注
- ^ a b c d e 『日本の歴代市長 第一巻』922頁。
- ^ a b c 『全国歴代知事・市長総覧』148頁。
参考文献
- 『日本の歴代市長 第一巻』歴代知事編纂会、1983年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
東京都市長会会長 |
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- 小林吉之助1955.6.10-1957.2.6
- 中嶋舜司1957.4.24-1959.4.30
- 荒井源吉1959.5.14-1963.4.30
- 植竹圓次1963.5.23-1965.5.13
- 桜井三男1965.5.14-1967.5.27
- 鈴木平三郎1967.5.28-1969.5.20
- 青山藤吉郎1969.5.21-1970.3.8
- 矢部隆治1970.3.9-1972.3.8
- 本多嘉一郎1972.3.9-1974.6.30
- 新藤元義1974.7.1-1976.6.30
- 大島宇一1976.7.1-1978.6.30
- 熊木令次1978.7.1-1980.6.30
- 後藤聰一1980.7.1-1983.7.31
- 木部正雄1983.8.1-1985.4.30
- 森直兄1985.5.1-1987.4.16
- 尾崎清太郎1987.5.1-1989.4.30
- 吉野和男1989.5.1-1996.4.30
- 土屋正忠1996.5.1-1998.4.30
- 臼井千秋1998.5.1-1999.4.30
- 波多野重雄1999.5.1-2000.1.28
- 青木久2000.2.25-2002.4.30
- 寺田和雄2002.5.1-2004.4.30
- 石川良一2004.5.1-2006.4.30
- 細渕一男2006.5.1-2007.4.30
- 尾又正則2007.5.1-2008.4.30
- 黒須隆一2008.5.1-2010.4.30
- 北川穣一2010.5.1-2012.4.30
- 馬場弘融2012.5.1-2013.4.26
- 竹内俊夫2013.5.1-2015.4.30
- 並木心2015.5.1-2017.4.30
- 長友貴樹2017.5.1-2019.4.30
- 清水庄平2019.5.1-2021.4.30
- 石阪丈一2021.5.1-2023.4.30
- 渡部尚2023.5.1-
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