濱村ゆかり
経歴13歳の時にソフトボールを始める[1]。中学3年生(2010年)の時に関東大会に出場し、全国女子ジュニア育成研修会(NTS U-16)では最優秀選手に選ばれた。多くのオファーの中から木更津総合高等学校に進学し、高校3年生(2013年)の全国選抜大会では全国優勝を遂げた[2]。 2014年に日本リーグ1部のルネサス高崎[注 2]に入団。2年目の2015年には6勝1敗・防御率2.70の成績を残し、新人賞を受賞。翌2016年はエースの上野由岐子が長期離脱をする中、8勝3敗・防御率0.54の活躍を見せ、最優秀投手賞[注 3]とベストナイン賞を受賞した[3]。2021年には、2度目の最優秀防御率賞(0.65)を受賞した。 JDリーグ初年度となった2022年は、上野由岐子がコンディション不良により一度も投げられない中、濱村は21試合[注 4]に登板。13勝2敗・防御率0.81の成績を残して最優秀防御率賞のタイトルを獲得した。さらにポストシーズンでは、ダイヤモンドシリーズ(準決勝・決勝)の2試合を1人で投げ抜き、ビックカメラ高崎ビークイーンをJDリーグの初代チャンピオンに導いた。この年、濱村は自身初となる最高殊勲選手賞(MVP)を受賞した[2][4]。 日本代表には2014年に初選出されて以降、世界選手権[注 5](2016年・2018年[注 1])やアジア競技大会(2018年)をはじめ、多くの国際大会に出場した[5]。東京オリンピック[注 6]に向けた直前の国内強化合宿メンバー(20名)にも招集されていたが[6]、最終メンバー(15名)からは選外となった[7]。 選手としての特徴「火の玉ストレート」の異名を持つ最速111キロのストレートと、ライズボール、シュートを武器としている[2]。 感情を表に出して投げるタイプではなく、「常に冷静に、でも心は熱く」という気持ちで投げている。たとえカウントが悪くなっても、ファウルで粘られても、確実にコースを突いていく投球を信条としており[4]、座右の銘は『強い弱いは執念の差』[3]。 人物・エピソード兄の影響で、小学3年生の時に地元の少年野球チームに入団。当時はピッチャー・ファースト・センターなどを守っていた。中学進学を機にソフトボールに転向し、1年生の秋くらいから本格的にピッチャーに取り組むようになった[2]。 詳細情報日本リーグ個人表彰
JDリーグ個人表彰
背番号
脚注注釈出典
外部リンク
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