澄江寺
歴史長享3年(1489年)寒河江氏13代・知広が長州大寧寺に寺領を寄進し[1]子院として澄江院を建立した[2]。二親供養のためであったという。当時父の叔父にあたる全岩東純が大寧寺七世住職であった縁により行ったものである。その後、知広が亡くなると未亡人と嫡男が寺領を寄進して寒河江に移し瑞龍山澄江寺とした[3]。開山澄江寺一世として大庵須益の弟子(全岩東純の兄弟弟子に当たる)竹院総梵の名が伝わる[4]。境内には知広及び夫人の墓と伝わる五輪塔が残る。 寒河江氏は天正12年(1584年)最上氏の攻撃により滅び、寒河江城も元和9年(1623年)から翌年にかけて廃城となるが、三の丸辰巳門は同寺の山門として移築され現在に至る。 法系
脚注
参考資料
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