源義業

 
源 義業
時代 平安時代後期
生誕 治暦3年(1067年
死没 長承2年2月27日1133年4月4日
改名 義成(初名)→義業
別名 佐竹義業、進士判官、刑部太郎
官位 左衛門尉相模介従五位下
氏族 河内源氏常陸源氏
父母 父:源義光、母:吉田清幹の娘
兄弟 義業実光義清盛義親義祐義覚義
吉田清幹の娘(平成幹の妹)
佐竹昌義山本義定[1]交野行義(進士次郎)、義仲、證玄(源尊)
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源 義業(みなもと の よしなり)は、平安時代後期の武将。実質的な佐竹氏初代。佐竹義業とも呼ばれるが、本人が佐竹姓を名乗ったことはない。

略歴

治暦3年(1067年)、源義光の嫡男として誕生。初名は義成と称した。

寛治元年(1087年)、父・義光が後三年の役に参戦し、官職を解任される。嘉承元年(1106年)、父と共に従兄・源義国と関東において合戦をする。天仁2年(1109年)、義兄・鹿島三郎成幹源氏の棟梁で従兄・源義忠を暗殺する。

長承2年(1133年)、病没。父・義光を助け、源義光流の発展に寄与した。

常陸源氏の創生

義業がこの地に勢力を据えることができた理由は、母及び彼の室がこの地の有力豪族、常陸平氏吉田清幹成幹の父)の娘であったことによる。義業と清幹の娘との間に生まれた昌義が佐竹氏の初代となる。

佐竹氏の由来は常陸国久慈郡佐竹郷[2]に本拠を構えたことによる。

脚注

  1. ^ 義経の父。
  2. ^ 現在の茨城県常陸太田市

出典

  • 洞院公定 著、今泉定介 編『尊卑分脈吉川弘文館、東京〈故実叢書〉、1899年。 NCID BN12488942