源勤
源 勤(みなもと の つとむ)は、平安時代初期から前期にかけての公卿。嵯峨天皇の皇子(嵯峨第十三源氏)。官位は従三位・参議。西七条宰相と号した。 経歴仁明朝末の承和14年(847年)无位から従四位上に直叙され、山城守に任ぜられる。 仁寿4年(854年)右近衛中将に遷ると、天安2年(858年)右兵衛督と文徳朝半ば以降は武官を歴任する。後に左大臣にまで昇った2歳上の同母兄・源融が嘉祥3年(850年)29歳で従三位に昇進し公卿に列したのに比べて、勤の昇進は遅れ、貞観2年(860年)に13年ぶりに昇進し正四位下に叙せられる、貞観12年(870年)参議に任ぜられ47歳にしてようやく公卿となった。 議政官として右兵衛督・右衛門督と引き続き武官を務め、近江守・播磨権守と地方官も兼ねた。この間の貞観17年(875年)に兄・融に遅れること25年にして従三位に昇叙されている。 陽成朝の元慶5年(881年)5月16日薨去。享年58。最終官位は参議従三位行右衛門督兼播磨権守。 官歴注記のないものは『六国史』による。
系譜『尊卑分脈』による。 脚注参考文献 |