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この項目では、函館市の町丁について説明しています。廃止された亀田郡の一級市町村については「湯川町 (北海道)」をご覧ください。 |
湯川町(ゆのかわちょう)は北海道函館市の町名。1丁目から3丁目までが存在する。郵便番号は042-0932[1] 。
概要
町名の由来となった、二級河川湯の川に沿って広がる。ホテル、旅館、銭湯などを含んだ、湯の川温泉も同町に位置する。町名は「湯川」町だが、河川や周辺の施設は「湯の川」と表記するなど[2]、表記ゆれがある。
地理
西を深堀町・湯浜町、東を榎本町・戸倉町・高松町・根崎町、北を日吉町・花園町、南を津軽海峡に接している。町内には、町名の由来となった湯の川・湯の沢川のほか、松倉川、鮫川が流れる。
歴史
同地区は、1939年まで亀田郡湯川町(市町村)の一部で、1960年(昭和35年)3月、昭和35年北海道告示第573号により町名が湯倉町、鮫川町、湯川町、湯浜町とあったのを、湯川町1丁目、湯川町2丁目、湯川町3丁目と整理し、温泉街全域を湯川町の町名で統一して成立した。
年表
- 1960年(昭和35年)3月 - 昭和35年北海道告示第573号により成立
- 1964年(昭和39年)1月 - 国立函館光明寮(現・国立函館視力障害センター)開設される[3]
- 1965年(昭和40年) - のちの北海道道901号着工
- 1970年(昭和45年)
- 7月1日 - 函館市民会館開館
- 7月 - 函館市熱帯植物園開園[4]
- 1971年(昭和46年)10月 - 函館市熱帯植物園内にサル山開設[4]
- 1972年(昭和47年)2月4日 - 「1972年北海道告示第314号」により「北海道道722号」が路線認定される
- 1975年(昭和50年)2月21日 - 函館市民体育館完成
- 1976年(昭和51年)
- 8月31日 - 「1976年北海道告示第3075号」により「北海道道901号」として路線認定される
- 10月 - 函館市電の湯の川停留場が現在地へ移転
- 1978年(昭和53年)9月12日 - 北海道道901号全通
- 1983年(昭和58年)9月10日 - 函館市電の市民会館前停留場開業
- 1987年(昭和62年)2月 - 函館市によって水族館構想「湯の川マリンパーク構想」がまとめられた
- 1990年(平成2年)12月 - 水族館構想「湯の川マリンパーク構想」断念
- 1994年(平成6年)10月1日 - 「北海道道722号」が「北海道道83号」に、「北海道道901号」が「北海道道100号」に変更
- 2015年(平成27年)
- 1月 - 函館市民体育館閉館
- 8月1日 - 函館アリーナ開館
- 2016年(平成28年)3月1日 - 函館市電の市民会館前停留場が函館アリーナ前停留場と改称
施設
公共施設
教育機関
主な商業施設他
- 大規模店
- 商店街
- 湯川商店街 - 函館市企業局交通部「湯の川温泉停留場」-「湯の川停留場」- 根崎公園ラグビー場間の北海道道沿いに広がる商店街。組合名は湯川商店振興組合で 2024年(令和6年)1月現在約40店舗が加盟している[5]。
神社
主要道路
交通
同町内には、函館市電の停留場、湯の川停留場、湯の川温泉停留場、函館アリーナ前停留場が位置し、湯の川温泉街アクセスの交通の要所になっている。また、函館バスの湯倉神社前バス停には多くの路線が集まっている[6]。
かつては国鉄戸井線の計画(未成線)があり[7]、湯の川駅の設置が計画されていた。
水族館構想
1987年(昭和62年)2月に函館市によって大規模複合レクリエーション施設「湯の川マリンパーク構想」がまとめられたが、1990年(平成2年)12月に木戸浦隆一市長(当時)は敷地が狭く、実施協力企業が集まらないことを理由に構想を断念した[8]。
脚注
参考文献
- 佐々木馨監修 『図解 函館·渡島·檜山の歴史』 郷土出版社 2008年
- 茂木治 『資料 函館西部地区Ⅰ 海側部』 2010年
外部リンク