末広町 (函館市)
概要函館山山麓の函館港に最奥部に位置する。同町をはじめとした函館市西部地区は、函館が港湾都市として発展してきたことを端的に表す地域であり、明治時代や大正時代に建設された建造物が数多く残る[1]。1965年(昭和40年)7月1日に住居表示に関する法律に基づいて、末広町、東浜町、船場町の各町大部分、会所町、相生町、恵比須町の一部をもって成立した[2]。町丁名由来は「旧町丁の概要」を参照。 日本初の気象観測所「函館気候測量所(現・函館地方気象台)」が設けられた[3]。 明治40年函館大火(1907年<明治40年>8月25日)の復興案として函館駅を船場町に移転させる案があったものの函館区議会にて僅差で否決され実現しなかった[4]。 旧町丁の概要
旧町名は内澗町(うちまちょう)。1881年(明治14年)7月に基坂から大三坂までに加え地蔵町1、2、3丁目を編入した。郊外からきた荷馬をつないだ場所から「馬糞町」ともいわれる。旧町名の町名の内澗町の由来は大森浜や山背泊に対し内澗だから。新町名の末広町は「末広がり」とのめでたい意味[5][6]。
→詳細は「豊川町 (函館市) § 旧町丁の概要」を参照
主な施設
かつてあった主な施設
脚注
参考文献
関連項目
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