渡辺豪綱

 
渡辺 豪綱
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦9年(1759年
死没 寛政5年3月22日1793年5月2日
改名 金弥(幼名)→豪綱
墓所 東京都文京区池之端の忠綱寺
官位 従五位下越中守駿河守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
和泉伯太藩
氏族 三河渡辺氏
父母 父:渡辺信綱、養父:渡辺伊綱
兄弟 源蔵、伊綱豪綱俊綱松平信男松平直義正室、中根正寧正室、松平正愛正室、渡辺房綱正室
春綱(長男)、亮綱(次男)、則綱(五男または六男)
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渡辺 豪綱(わたなべ ひでつな)は、江戸時代中期の大名和泉国伯太藩の第5代藩主。伯太藩渡辺家7代。

略歴

宝暦9年(1759年)、第3代藩主・渡辺信綱の三男として誕生した。

天明3年(1783年)1月29日、跡継ぎのいない先代藩主で実兄の伊綱の養子となる。3月15日、第10代将軍・徳川家治御目見した。4月18日、伊綱の隠居により家督を継いだ。12月18日、従五位下越中守に叙任した。

寛政5年(1793年)3月22日、死去。享年35。跡を長男の春綱が継いだ。