渡辺綱倫
渡辺 綱倫(わたなべ つなとも)は、江戸時代後期の尾張藩家老。渡辺半蔵家12代当主。 生涯天保4年(1833年)、尾張藩家老・渡辺寧綱の長男として誕生した。万延元年(1860年)、寧綱の死去により家督を相続する。 文久元年(1861年)、皇女和宮の降嫁の際に、幕府より尾張藩に道中警護の命が下り、中仙道で警護に当たった。文久3年(1863年)、家老となる。同年、従五位下、飛騨守に叙任。元治元年(1864年)7月、禁門の変の際に、銃隊100人を率い京都御所南門を守備した。長州兵との戦闘で敗れた責任を取って同年9月13日、自害する。享年32。 家督は、8月に生まれたばかりの長男・綱聡が相続した。 出典
脚注
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