渡辺清七渡辺 清七(わたなべ せいしち、1893年(明治26年)2月22日 - 1948年(昭和23年)2月15日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 人物・略歴福岡県出身。1911年福岡県立中学修猷館を経て[1]、海軍兵学校および陸軍士官学校(第26期)を受験し、双方に合格している。1914年海軍兵学校第42期卒業。卒業時成績順位は117名中第56位。その後、海軍砲術学校、海軍大学校を卒業。 1937年12月大佐となり、1938年12月軽巡洋艦鬼怒艦長、1939年11月潜水母艦迅鯨艦長を経て、1940年10月重巡洋艦鳥海艦長に就任し[2]、1941年12月のマレー作戦に参戦した。 1943年5月少将となり、 同年7月呉防備戦隊司令官を経て、12月水路部第三部長に就任、1944年4月水路部第三部が気象部として独立すると、その初代部長となる。1945年4月第104戦隊司令官、同年9月予備役となる[2]。 脚注 |