渋沢 正一(しぶさわ まさかず[1]、1920年5月17日[1] - 1981年12月8日[2])は、日本の実業家。渋沢栄一の孫。アジア経済研究所理事長(1958年 - 1967年)、海外技術協力事業団(1967年 - 1970年)、渋沢事務所社長(1970年 - 1981年)を務めた[要出典]。
東京帝国大学農学部を卒業[3]。
家族
父は渋沢栄一の三男の渋沢正雄。母は池田鄰子。従兄弟に渋沢敬三(子爵)と渋沢信雄。従兄弟違(従兄・敬三の長男)に渋沢雅英。
妻・和子は植村甲午郎の娘[4][5][6]。子供に渋沢寿一がいる。
系図
脚注
- ^ a b 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)し69頁
- ^ 渋沢, 正一, 1920-1981 - 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス
- ^ 明星食品(編)『めんづくり味づくり明星食品30年の歩み』明星食品、1986年、p.9(ゆまに書房より2003年に復刻)。渋沢は従軍した際に軍の自給班で明星食品創業者の一人である奥井清澄と同僚だったという。
- ^ 木村毅「政財界芋づる物語 財界屈指の文化人・植村甲午郎」『実業の日本』第63巻3号(1960年3月号)、実業之日本社、pp.76 - 78
- ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)う63頁
- ^ 植村とはアジア経済研究所の監事と理事という関係だった(『職員録 第1部』1968年版、p.2248)。