清見寺
清見寺(せいけんじ)は、静岡市清水区興津清見寺町[1]にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は巨鼇山(こごうさん)、正式には「巨鼇山 求王院 清見興国禅寺」(こごうさん ぐおういん せいけんこうこくぜんじ)と称する。 歴史寺伝では奈良時代の創建と伝える。平安時代は清見関(清見ヶ関)に置かれた比叡山を総本山とする天台宗の寺院であった。 鎌倉時代に禅寺として復興し、足利尊氏や今川義元の帰依を受けて繁栄した。また、その頃、徳川家康は今川氏に人質としてであったが、当寺の住職太原雪斎に師事し、当寺で勉強していた。交通の要衝であり、武田氏による駿河侵攻の際には、今川氏真が本陣を構えたものの、薩埵峠の戦いによる家臣の相次ぐ離反、武田方への内通により戦わずして駿府城に撤退している。 江戸時代には徳川氏の庇護を受けたほか、東海道の目の前にあることから、朝鮮通信使や琉球使の接待がここで行われた。広島県福山市鞆町にある福禅寺、岡山県瀬戸内市牛窓町にある本蓮寺と共に朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定[2]されている。また庭園も国の名勝に指定[3]されている。 また、駿河湾を望む風光明媚な高台にあり、室町時代には雪舟が、明治時代には夏目漱石や高山樗牛、島崎藤村が訪れている。 なお、寺の境内を東海道本線の線路が横切っている。その経緯については興津駅の歴史を参照。 年表
伽藍
文化財重要文化財(国指定)
史跡(国指定)名勝(国指定)
その他
所在地静岡市清水区興津清見寺町418-1 交通アクセス
富士三保清見寺図屏風静岡県富士山世界遺産センターが所蔵する17世紀中期の作品とされる金屏風「富士三保清見寺図屏風」(縦123cm、横297cm、六曲一双)の左隻には清見寺を隠居風の人物が訪ねる様子が描かれている[6]。静岡県富士山世界遺産センターの調査では従者の規模や籠の大きさから、この人物は徳川家康の可能性が高いとしている[6]。金屏風は動きのある描写になっていることから、何らかの物語を描いたものと推察され、徳川家康が敵将の遺児である土屋忠直を見い出した出会いを描いたものとみられている[6]。 脚注関連項目外部リンク
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