添田飛雄太郎添田 飛雄太郎(そえだ ひおたろう、元治元年11月7日[1](1864年12月5日) - 昭和12年(1937年)1月25日[1])は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党→立憲同志会→憲政会→革新倶楽部)。 経歴出羽国雄勝郡湯沢町(現在の秋田県湯沢市)出身。1886年(明治19年)、上京して英語とドイツ語を学び、1888年(明治21年)から7年間、ドイツのテュービンゲン大学で政治学・経済学・法学を学んだ[2]。1903年(明治36年)、秋田県立秋田中学校校長に就任し、1907年(明治40年)まで務めた[1]。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、5回連続当選を果たした。 脚注
参考文献
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