深尾文彦
深尾 文彦(ふかお ふみひこ、1920年 - 没年不明)は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。 来歴・人物京阪商業学校(現:大阪府立芦間高等学校)時代には春1回(1938年)、夏2回(1938年,1939年)甲子園に出場した[2]。京阪商業時代のチームメイトに宮口美吉や加地健三郎がいる。 1940年、南海軍に入団。しかしデビュー戦となった1940年4月6日の阪急軍戦で、劉瀬章、平野正太郎の後を受け3番手投手として登板するも、7回から9回までの3イニングで17失点を浴びた[3]。個人の投手での1試合17失点は当時のプロ野球記録(現在のプロ野球記録は1950年に伊藤万喜三〈東急〉が記録した18失点)。投手としてはこの1試合で見切られ、野手や代打要員として出場するも全く活躍できず、1941年限りで現役引退。 詳細情報年度別投手成績
年度別打撃成績
背番号
脚注関連項目 |