淀川天神社
淀川天神社(よどがわてんじんしゃ)は、大阪市北区国分寺にある神社。旧社格は村社。法人名は天神社(あまつかむのやしろ)。 歴史天平10年(738年)に行基がこの一帯を開拓した時、開拓の守護神として天穂日命を勧請したのが起源だとされている。この神は天照大神の第2子であり、子孫に野見宿禰・菅原道真・大江匡房等を出した(とされる)ので、今は菅原道真の霊を祀って天満宮になっている[1]。 1872年(明治5年)村社に列する。1873年(明治6年)、神宮寺の黄檗宗淸源山正德禪寺(正徳寺)と分離する。1908年(明治41年)に東梅ヶ枝町(現・西天満)の稲荷神社を合祀。 1910年(明治43年)年には中島村(現・東淀川区)の神社から社殿を移築している。社殿は享保年間(1716年 - 1736年)に建立されたものである。1911年(明治44年)に神饌幣帛料供進社に指定される[2]。 太平洋戦争時の1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲、及び6月15日の第4回大阪大空襲の際にも社殿はその被害を免れている。 祭神境内
現地情報
脚注出典 |