淀川天神社

天神社
鳥居
所在地 大阪府大阪市北区国分寺1丁目4-1
位置 北緯34度42分37.2秒 東経135度30分55.1秒 / 北緯34.710333度 東経135.515306度 / 34.710333; 135.515306 (淀川天神社)座標: 北緯34度42分37.2秒 東経135度30分55.1秒 / 北緯34.710333度 東経135.515306度 / 34.710333; 135.515306 (淀川天神社)
主祭神 天穂日命菅原道真
社格村社
創建 伝・天平10年(738年
別名 淀川天神社
例祭 7月18日
地図
天神社の位置(大阪市内)
天神社
天神社
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淀川天神社(よどがわてんじんしゃ)は、大阪市北区国分寺にある神社。旧社格は村社。法人名は天神社(あまつかむのやしろ)。

歴史

天平10年(738年)に行基がこの一帯を開拓した時、開拓の守護神として天穂日命を勧請したのが起源だとされている。この天照大神の第2子であり、子孫に野見宿禰菅原道真大江匡房等を出した(とされる)ので、今は菅原道真の霊を祀って天満宮になっている[1]

1872年明治5年)村社に列する。1873年(明治6年)、神宮寺黄檗宗淸源山正德禪寺(正徳寺)と分離する。1908年(明治41年)に東梅ヶ枝町(現・西天満)の稲荷神社を合祀。

1910年(明治43年)年には中島村(現・東淀川区)の神社から社殿を移築している。社殿は享保年間(1716年 - 1736年)に建立されたものである。1911年(明治44年)に神饌幣帛料供進社に指定される[2]

太平洋戦争時の1945年昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲、及び6月15日の第4回大阪大空襲の際にも社殿はその被害を免れている。

祭神

境内

  • 本殿 - 享保年間(1716年 - 1736年)建立。1910年明治43年)年に現在地に移築。
  • 幣殿 - 享保年間(1716年 - 1736年)建立。1910年(明治43年)年に現在地に移築。
  • 拝殿 - 享保年間(1716年 - 1736年)建立。1910年(明治43年)年に現在地に移築。
  • 社務所
  • 稲荷神社 - 天正10年(1582年)建立。小堀遠州の屋敷である砂原屋敷にあったものという。1908年(明治41年)に現在地に移築。

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

出典

  1. ^ 三善貞司「大阪史蹟辞典」(1986) 全国書誌番号:86050775
  2. ^ 井上正雄 「大阪府全志」 (1922) 全国書誌番号:73012615