浦澄江
浦 澄江(うら すみえ、1884年(明治17年)8月18日[1] - 1951年(昭和26年)1月24日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴1884年(明治17年)に高知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第16期、陸軍大学校第29期卒業[2]。1928年(昭和3年)6月7日に奉天軍に応聘され[3]、8月10日に陸軍砲兵大佐に進級した[3]。1929年(昭和4年)3月に山砲兵第9連隊長に転じ[3]、1931年(昭和6年)8月に台湾軍参謀に就任した[3]。 1933年(昭和8年)8月1日に陸軍少将進級と同時に佐世保要塞司令官に着任した[1]。1934年(昭和9年)8月に第6師団司令部附となり[1]、1936年(昭和11年)3月に由良要塞司令官に就任[1]。1937年(昭和12年)3月1日に陸軍中将進級と同時に待命[1][3]、3月29日に予備役に編入された[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 脚注参考文献
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