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河竹新七
河竹 新七
(かわたけ しんしち)とは、歌舞伎作者の名跡。
初 代 河竹新七
師は不詳、1746–95。本名は竹三郎、俳号に能進・能進斎。主に江戸で
初代中村仲蔵
のために作品を書いた。
『
垣草恋写絵
』(荵売)、『
伊達錦対将
』、『
白井権八狂言始
』、『
信太長者柱
』
二代目 河竹新七
五代目鶴屋南北
の門人、1816–93。
勝諺蔵 → 芝晋輔 → 二代目河竹新七 → 黙阿弥 → 古河黙阿弥
『
都鳥廓白波
』(忍の惣太)、『
三人吉三廓初買
』(三人吉三)、『
花街模様薊色縫
』(十六夜清心)、『
処女翫浮名横櫛
』(切られお富)、『
青砥稿花紅彩画
』(白浪五人男)、『
天衣紛上野初花
』(河内山)、『
新皿屋敷月雨暈
』(魚屋宗五郎)、『
樟紀流花見幕張
』(慶安太平記)、『
梅雨小袖昔八丈
』(髪結新三)、『
極付幡随長兵衛
』(湯殿の長兵衛)、『
北条九代名家功
』(高時)、『
盲長屋梅加賀鳶
』(加賀鳶)、ほか多数
三代目 河竹新七
二代目の門人、1842–1901。
初代
竹柴金作
→ 三代目河竹新七
『
籠釣瓶花街酔醒
』(籠釣瓶)、『
塩原多助一代記
』
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