沢田保富
沢田 保富(さわだ やすとみ、1890年(明治23年)11月29日[1] - 1947年(昭和22年)3月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2] 経歴1890年(明治23年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第37期卒業[1]。1937年(昭和12年)に関東軍野戦鉄道司令部附となり[2]、1938年(昭和13年)3月に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。同年7月には歩兵第62連隊長に転じ[2]、日中戦争に出動[1]。徐州に駐屯し、蘇北作戦などで指揮を執った[1]。1940年(昭和15年)に留守第5師団参謀長を経て、1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級と同時に第7歩兵団長に就任した[1][2]。 1942年(昭和17年)に第2船舶輸送司令官に就任し[1]、上海に赴任[1]。1943年(昭和18年)に第5船舶輸送司令官となり[1]、ダバオに転じる[1]。1944年(昭和19年)4月に船舶兵団長を経て[1]、10月に教育船舶兵団長に就任した[1]。1945年(昭和20年)4月に陸軍中将に進級[2]、宇品で終戦を迎えた[1]。 脚注参考文献
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