沈彦俸
沈 彦俸(シム・オンボン、沈彥俸、심언봉)は、大韓民国陸軍の軍人。 経歴忠清南道牙山に生まれる。普成専門学校に入学[1]。学徒出陣して日本軍に入隊。 1946年1月28日付で軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10022番)[2]、第2連隊創設要員[3]。 1946年5月1日、第2連隊長代理(中尉)[4]。 1946年9月11日、第6連隊長[5]。 1947年10月22日、第7連隊長(少佐)[5]。 1950年6月10日、陸軍本部兵器監(~10月26日)[7]。 1951年、第3軍団参謀長。同年6月22日、国防部兵器行政本部長[8]。 1951年7月、国民防衛軍事件の裁判で中央高等裁判長に任命[9]。 1952年1月25日、憲兵司令官[10]。 1953年6月15日、第2訓練所長[12]。 1954年5月28日、少将[13]。同年6月、アメリカ留学[14]。同年11月19日、大田で殉職。1987年5月21日、国立大田顕忠院に安葬。 出典
参考文献
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