池田政良
池田 政良(いけだ まさよし)は、江戸時代中期の備中国生坂藩の世嗣。 略歴幕府の公式記録では4代藩主・池田政弼の長男、母は高崎氏とされているが、池田氏系譜によれば3代藩主池田政員の長男である[1]。幼名は豊之助。 実父の死去時には幼少であり、叔父・政弼の藩主就任に伴い、弟の秀次郎と共に政弼の子として届出がなされた。安永元年(1772年)に政弼の世嗣となったが、家督を相続することなく安永3年(1774年)に16歳で死去した。 代わって、翌安永4年(1775年)に生まれた政弼の実子(公式には政良の四弟)・政房が嫡子となった。 脚注 |