永井義文
永井 義文(ながい よしふみ、1987年12月27日 - )は、兵庫県出身のフットサル選手・フットサル指導者。シュライカー大阪監督。選手時代のポジションはピヴォ。サッカー選手の永井龍は弟である。 経歴選手時代5歳の時にサッカーをはじめ、小学年代では西宮SCでプレー[1]。西宮市立学文中学校に在学時はセレッソ大阪 U-15に在籍し、高校年代では兵庫県立西宮南高等学校に在学しながらセレッソ大阪 U-18に在籍[1]。U-18時代には足首を2度骨折するなど負傷に悩まされ、16歳から17歳まで1年間のリハビリ生活を送った[1]。高校3年時にはJサテライトリーグにも出場した[1]。 びわこ成蹊スポーツ大学に進学し、2年時には関西学生サッカー連盟春季リーグで優勝[1]。この時期にFリーグの試合を初観戦してフットサル転向を決意し、20歳の時にシュライカー大阪のセレクションに合格[1]。シュライカー大阪サテライトではドゥダ・ドス・サントス監督の指導を受け[2]、1年間プレーした後の2009年にトップチームに登録された[1]。2010年と2012年には全日本フットサル選手権大会で優勝[1]。2010年にはフットサル日本代表に初招集され、2013年には日本代表として第4回アジアインドア・マーシャルアーツゲームズに出場して準優勝した[1]。 2014-15シーズン開幕前には木暮賢一郎がシュライカー大阪のトップチーム監督に就任したため、永井は木暮監督の下でプレーするか海外クラブで挑戦するか悩んだが[3]、2014年7月にシュライカー大阪を退団し[4]、9月下旬にイタリア・セリエA2のASDフットサル・イソラ[1]に加入。2014-15シーズンのリーグ戦では14試合出場10得点、カップ戦では2試合出場2得点という結果を残した[1]。2015年4月にはシュライカー大阪に復帰[5][6]。2015年8月には吉本興業とマネジメント契約を結んだ[2]。 2016-17シーズンのシュライカー大阪はFリーグと全日本選手権の2冠を達成[7]。シーズン終了後の2017年4月に現役引退を表明した[7]。 指導者時代現役選手でもあった2011年から2016年には大阪成蹊大学フットサル部のコーチを務めた。現役引退後の2018年にはシュライカー大阪サテライトの監督に就任した。2020年、比嘉リカルドの後任としてシュライカー大阪トップチームの監督に就任した[8]。 所属クラブ
指導クラブタイトル
代表歴個人成績
脚注
外部リンク |