水主皇女
水主皇女(みぬしのひめみこ)は、天智天皇の皇女。母は栗隈首徳万の娘、黒媛娘。名前はもいとりともいう。 経歴天智天皇の皇子女の中で最後まで生き残ったが、他の皇女とは違い、彼女に関する詳細な記録はほとんどなく、どのような人生を送ったかは不明な点が多い。晩年元正天皇に仕えていたらしく、病気で宮中に出仕できずにいた水主皇女を慰めるため、雪を詠った歌を作るよう元正天皇が命じ、石川郎女が奉上した歌が『万葉集』巻20-4439に残されている。 熱心な仏教信者だったようで、天平6年(734年)に大和国広瀬郡の水陸田を購入し、弘福寺に施入している。彼女が作成した「水主宮経」は写経のために各所に貸し出され、目録も作られたほどである。天平9年(737年)2月14日、三品に昇進し、その年の8月20日に薨去した。 水主皇女に関する歌『万葉集』に以下の歌が残されている。
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