毛利 菊枝(もうり きくえ、1903年11月3日 - 2001年8月20日)は、日本の女優。本名は森 キク(旧姓:小林)。夫は美術史家の森暢。
杉村春子、山本安英らと同世代の新劇女優であり、岸田國士に師事。幾つかの劇団を経て、京都市に劇団くるみ座を創設し、長く代表をつとめた。戦後は映画やテレビドラマにも多く出演し、老け役で活躍した。
略歴・人物
1903年(明治36年)11月3日(火曜日)、群馬県利根郡沼田町(現沼田市)に生まれる。群馬県立高崎高等女学校(現群馬県立高崎女子高等学校)中退。
1925年(大正14年)、岸田国士主宰の新劇研究所に第1期生として入る。1929年(昭和4年)、喜劇座の旗揚げ公演『御意に任せて』で初舞台を踏む。1932年(昭和7年)に友田恭助・田村秋子夫妻の築地座に参加するが、1934年(昭和9年)に木崎豊、清川玉枝、龍岡晋らと脱退して京都で創作座を旗揚げした[1]。1937年(昭和12年)に同座を退団。1940年(昭和15年)に宇野重吉、中江良介、信欣三、北林谷栄らと瑞穂劇団に参加した[2][3]。
1946年(昭和21年)、京都で毛利菊枝演劇研究所を発足させ、1948年(昭和23年)に劇団くるみ座と改称した[4]。門下生には俳優の栗塚旭、北村英三、多賀勝一、沼田曜一、劇作家の山崎正和らがおり、京都の新劇の劇団の中では最古で、劇団民芸、文学座、俳優座と並ぶ古い歴史を持つ劇団となった。舞台の代表作に『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(くるみ座)があり、この演技で毎日演劇賞を受賞している。
映画では、1937年の『からゆきさん』(木村荘十二監督)が初出演作となり、およそ100本の作品に出演。
テレビドラマでは『信子とおばあちゃん』に主人公・信子の祖母(佳年おばあちゃん)役などで出演。
老け役の名手として活躍した。
2001年(平成13年)8月20日、肺炎のため静岡市内の病院で死去。享年97。
受賞・栄典
出演作品
映画
テレビドラマ
- お好み日曜座 / おばあさん(1959年、NHK) - おばあさん
- サンヨーテレビ劇場 / 羅生門(1959年、KR)
- 部長刑事 第48話「盆おどりの夜」(1959年、OTV)
- 現代人間模様 第19・20話「城 修復技師」(1959年、NHK)
- 東芝日曜劇場(TBS)
- 第204話「穴」(1960年)
- 第804話「寒椿」(1972年)
- 第924話「風前の灯」(1974年)
- 第1001話「二人の息子」(1976年)
- 第1136話「京おんな・恋のおくり火」(1978年)
- 女の園(NHK)
- 第32話「その歳月」(1962年)
- 第58話「姥の門出」(1962年)
- 創作劇場 / 闖入者(1963年、教育テレビ) - C・老婆
- 嫁ぐ日まで 第17話「つゆ」(1963年、CX)
- テレビ指定席 / 恐山宿坊(1964年、NHK)
- 風雪(NHK)
- 炎の女(1964年) - 英の母
- 活動大写真(1965年) - 牧野やな
- 素浪人 月影兵庫 第1シリーズ 第17話「真赤な花が咲いていた」(1966年、NET) - 多門
- 剣 第5話「蝉時雨」(1967年、NTV) - きくの母
- NHK大河ドラマ / 竜馬がゆく(1968年、NHK) - お竜の母
- 影の顔(1970年) ‐ 老女中・お糸
- 連続テレビ小説(NHK)
- 徳川おんな絵巻 第13話「白鷺城の若き獅子」・第14話「永遠の初夜」(1970年、KTV) - 光月院
- 銀河ドラマ / 影の顔(1970年、NHK) - 老女中お糸
- 水戸黄門(TBS / C.A.L)
- 第2部 第24話「悪い奴ら・宮津」(1971年) - 桔梗屋
- 第3部 第20話「帰って来た男・土佐」(1972年)
- 第4部 第12話「なまはげ様のお通りだ!・秋田」(1973年) - さき
- 第5部
- 第8話「一寸の虫にも五分の魂・金沢」(1974年) - 森かね
- 第24話「二人の御老公・佐賀」(1974年) - 農家の婆さん
- 第7部
- 第19話「最上紅花恋の唄・米沢」(1976年) - とめ
- 第30話「おふくろさまは山びこ・上田」(1976年)- おかの
- 第8部 第22話「海鳴り龍王岬・高知」(1977年) - おさき
- 影同心II 第15話「尼と男の冬の宿」(1976年、MBS / 東映) - 老庵主
- 遠山の金さん 第38話「消えた姫君を追え‼」(1976年、NET) -たか
- 横溝正史シリーズII / 八つ墓村(1978年、MBS) - 田治見小竹
- 赤穂浪士(1979年、NET) - 高木くめ
- 大岡越前 第6部 第11話「江戸っ子駕籠」(1982年、TBS / C.A.L) - おとき
脚注
外部リンク