毒流
『毒流』(どくりゅう、英語: Shoes)は、1916年(大正5年)製作・公開、ブルーバード映画製作、ユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー配給によるアメリカ合衆国のサイレント映画である[1]。1922年(大正11年)に松竹蒲田撮影所が本作を原作に2作の劇映画を製作・公開しており[2][3]、同2作についても本項で扱う。 略歴・概要ソーシャルワークの先駆者として知られるジェーン・アダムズの小説をステラ・ウィン・ヘロンが翻案、ロイス・ウェバーが脚色して監督した作品である[1]。1916年(大正5年)にユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)の子会社として設立されたブルーバード映画が製作し、ユニバーサル社が配給して、同年6月26日にアメリカ合衆国で公開された[1]。 日本では、播磨勝太郎が同年に設立した播磨ユニヴァーサル商会が独占配給し、同年10月18日に東京・浅草公園六区の帝国館を皮切りに全国で公開された[4]。日本において評価の高かったブルーバード映画のうちでも、熱狂的に受け入れられた作品のひとつであり、当時の映画雑誌『活動之世界』には、
と評された[5]。当時の日本映画は歌舞伎や新派の影響下にあり、また輸入映画の主流であったイタリア等のヨーロッパ映画も演劇的であり、平凡な舞台設定・人物設定をリアルに描く『毒流』は、日本の観客には、新しく風変わりなものに映ったという[5]。 本作が日本で公開された時点では、松竹キネマ(現在の松竹)はまだ設立されていなかったが、設立後2年が経過した1922年(大正11年)、本作を原作に伊藤大輔が脚色、野村芳亭が監督した映画『海の呼声』を松竹蒲田撮影所が製作、松竹キネマが配給し、同年9月10日、東京・有楽町の有楽座等で公開された[2]。同年、再び『毒流』を原作に、おなじく伊藤が脚色、牛原虚彦が監督した映画『傷める小鳥』をおなじく松竹蒲田が製作、松竹キネマが配給し、同年11月11日、浅草公園六区の大勝館等で公開されている[3]。 現在、ロイス・ウェバーの監督したオリジナルの『毒流』は、アンソニー・スライドによれば断片のみが現存し、同監督の現存する17作のうちの1作である[6]。ドイツ語の黒味字幕の付された5分の断片をオランダ映画博物館が所蔵し[7]、寄贈された「小宮登美次郎コレクション」にあった672フィート、10分(18コマ/秒)の断片を日本の東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵している[8]。 日本でのリメイク版『海の呼声』、『傷める小鳥』の上映用プリントは、いずれも東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[9]、マツダ映画社も所蔵していない[10]。現状、観賞することの不可能な作品である。 スタッフ・作品データ
キャスト
ストーリーエヴァ(メアリー・マクラレン)は、街の市場で働く売り子である。エヴァの靴はもうボロくて壊れてしまっている。エヴァの父(ハリー・グリフィス)は失業しており、母(マッティ・ウィッティング)と妹弟たちをエヴァひとりが養っている。友人のアン(不明)がふさぎ込むエヴァに対して、エヴァに気がある男がいるからと酒場に遊びに来るように誘うが、エヴァはその気にはなれない。 1週間が経ち、給料日になり、貰った週給をエヴァは母に渡し、アンの誘いに乗って思い切って酒場に出かけてみる。きらびやかなシャンデリアや踊り子の舞う空間に気圧されて、隅の方に腰掛けるエヴァをアンは見つけ出し、気があるという男と引き合わせる。 その夜、エヴァは遅く家に帰りつくと、母の胸に顔を埋めて泣くのだった。非常に嫌な体験であったのだ。そこへ顔を輝かせて父が帰って来る。就職先が決まったのだ。いままでありがとうと父に言われ、希望を感じるエヴァ。一家の晩餐である。 リメイク海の呼声
『海の呼声』(うみのよびごえ)は、1922年(大正11年)製作・公開、松竹蒲田撮影所製作、松竹キネマ配給、野村芳亭監督による日本の長篇劇映画、現代劇のサイレント映画である[2]。『海の叫び』(うみのさけび)とも題した。1916年(大正5年)製作・公開のアメリカ合衆国の映画、ロイス・ウェバー監督の『毒流』を原作とする[2]。 スタッフ・作品データ
キャスト傷める小鳥
『傷める小鳥』(いためることり)は、1922年(大正11年)製作・公開、松竹蒲田撮影所製作、松竹キネマ配給、牛原虚彦監督による日本の長篇劇映画、現代劇のサイレント映画である[3]。1916年(大正5年)製作・公開のアメリカ合衆国の映画、ロイス・ウェバー監督の『毒流』を原作とする[3]。 スタッフ・作品データ
キャスト関連事項註
外部リンク
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