武生鳥守武生 鳥守(たけふ の とりもり)は、奈良時代の官人。氏姓は馬毘登のち武生連。官位は外従五位下・送渤海客使。 経歴称徳朝の天平神護元年(765年)馬国人と馬益人ら44人が馬毘登から武生連に改姓しており、この時に鳥守も同じく改姓したと想定される。 光仁朝の宝亀3年(772年)7月に渤海使・壱万福らを渤海に送り届ける遣渤海使に任ぜられ、9月に日本から出航するが、暴風に遭遇し能登国に漂着する。壱万福含めて辛うじて死を免れることができたため、福良津(現在の石川県羽咋郡志賀町福浦)に停泊するよう朝廷から指示を受けた[1]。その後、再び壱万福の送渤海客使を務め、宝亀4年(773年)10月に渤海より帰国している(この時の位階は正六位上)[2]。 桓武朝の天応元年(781年)和国守・土師道長らとともに外従五位下に昇叙している。 官歴『続日本紀』による。
脚注参考文献
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