正親町三条秀子
正親町三条 秀子(おおぎまちさんじょう ひでこ、応長元年(1311年) - 観応3年11月28日(1353年1月12日))は、南北朝時代・室町時代の女性。光厳天皇の典侍で、崇光天皇・後光厳天皇の生母。父は内大臣正親町三条公秀。准三宮。院号は陽禄門院。 延元2年(1337年)3月に従三位に叙任。光厳上皇に最も長く仕え、崇光・後光厳両天皇を産む。観応3年(1352年)6月頃より病み、10月に院号宣下と同時に准三宮となり、同年出家して、11月28日に42歳で薨去した。大梅山長福寺に埋葬された。 |