歌川国輝 (2代目)二代目 歌川国輝
二代目 歌川国輝(にだいめ うたがわ くにてる、天保元年〈1830年〉 - 明治7年〈1874年〉12月15日)とは、江戸時代末期から明治時代はじめにかけての浮世絵師。 来歴三代目歌川豊国の門人。本姓は山田、名は国次郎。一雄斎、一曜斎、曜斎と号す。深川御蔵前町に住む。最初は二代目歌川国満を名乗ったといわれているが定かではない。文久ごろから二代目歌川国綱または一蘭斎国綱と称し作画活動をし始め、慶応元年(1865年)の頃に名を国輝と改めたと見られる。国綱の時代には諷刺画や街道物、役者絵などで活動している。国輝となって以降は四代目歌川国政との合作「東京十二景」をはじめとして「東京名所図絵」、「東京名勝」など開化絵を描く。「東京汐留鉄道蒸気車通行図」のような鉄道絵もかなり多く、蒸気機関車の描写は他の絵師よりもずっと精緻に観察して描いている。幕末から明治初期の開化の風物を描いた作品は資料的に注目すべきものである。 明治6年(1873年)には文部省が教育目的の錦絵104枚を発行し、「文部省製本所発行記」との朱印が押され、うち30枚は「曜斎国輝」のものとある[1]。 享年45歳。墓所は東京都江東区亀戸の宝蓮寺、法名は円垂道信士。子孫は萩小田として現在に至る。 作品版本挿絵錦絵
肉筆画脚注
参考文献
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