橋本二郎橋本 二郎(はしもと じろう、1904年(明治37年)9月16日[1][2] - 1977年(昭和52年)3月14日[3])は、昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員、熊本県玉名郡滑石村長、玉名市長、玉名市名誉市民[1][2]。 経歴熊本県[3]玉名郡滑石村[1](現玉名市滑石[1])で、橋本静太の二男として生まれる[1]。1926年(大正15年)早稲田大学専門部政治経済学科を卒業[1][2][3]。 1933年(昭和8年)滑石村会議員に選出された[1][3]。その後、滑石村長、熊本県会議員に在任した[1][2][3]。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に熊本県全県区から無所属で出馬して当選し[2][4]、国民協同党に所属して衆議院議員に1期在任した[3]。この間、協同民主党常任中央委員などを務めた[3]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙で熊本県第1区から改進党所属で立候補したが落選した[5]。 1954年(昭和29年)4月27日、初代玉名市長に就任し、1966年(昭和41年)4月26日まで3期在任[2]。公共施設の整備、産業振興、漁業構造改善事業の推進などに尽力した[2]。1970年(昭和45年)4月27日、玉名市長に再任し、1977年3月14日の死去まで2期在任した。この間、道路網の整備、下水道の整備、運動公園の設置、市総合庁舎の建設などに尽力した[2]。 また、滑石村産業組合長、同農業会長、同漁業会長、熊本県産業組合専務理事、同農業会常務理事、同水産業会理事、熊本県農地委員、有明広域市町村圏協議会長、玉名平野土地改良区理事長などを務め、農林漁業などの振興に貢献した[1][3]。 脚注参考文献
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