横田切れ横田切れ(よこたぎれ)は、1896年(明治29年)7月22日に発生した、信濃川の堤防決壊による洪水である[1]。 数日間続いていた大雨により信濃川の水嵩が増大し、新潟県西蒲原郡横田村(現・燕市横田)の堤防の部分約360mを主として、県内874か所で堤防が決壊した[1]。これにより新潟市関屋までの広い範囲が浸水し、被害面積は180km2、床下・床上浸水が合わせて4万3600戸で、そのうち家屋流出は2万5000戸であった。 さらに、低い土地では秋になっても水が引かない場所もあり、溜まった水が腐ることによる赤痢やチフスなどの伝染病が蔓延し、命を落とす人も多かった[2]。 この水害により、三島郡大河津村大川津(現・燕市大川津)から同郡野積村(現・長岡市寺泊野積)までの約10kmの区間に分水路の建設の声が高まった。大河津分水は1907年(明治40年)に第2期工事が始まり、1922年(大正11年)8月25日に通水した[3]。 ギャラリー
脚注
参考文献
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