森邦武
森 邦武(もり くにたけ、1869年2月11日(明治2年1月1日) - 1924年(大正13年)1月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[2]。前名は平吉[3]。 経歴・人物平民・森宇平の次男として上野国(現・群馬県)に生まれ、先代の長次郞の養子となり、1878年(明治11年)12月、家督を相続する[3]。 1890年(明治23年)陸軍士官学校第1期卒業[1][2]、 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を歩兵科21番/103名で卒業している。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する[3][4]。のち、1899年(明治32年)陸軍大学校第12期卒業[1][2]。 大本営陸軍参謀、第3師団副官、第1軍参謀、遼東兵站監部参謀を経て、1908年(明治41年)9月に陸軍歩兵大佐に進級[3][2]。ついで、同年12月に教育総監部第2課長、1913年(大正2年)4月に歩兵第14連隊長、1914年(大正3年)5月に陸軍少将・歩兵第36旅団長、1916年(大正5年)8月に青島守備隊司令官を経て、1917年(大正6年)8月に待命、同年12月に予備役に編入した[1][2]。 脚注参考文献
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