森山 良二福岡ソフトバンクホークス リハビリ担当コーチ(投手) #017 |
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楽天投手コーチ時代 (2016年4月23日 西武プリンスドームにて) | 基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
福岡県北九州市 |
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生年月日 |
(1963-07-20) 1963年7月20日(61歳) |
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身長 体重 |
183 cm 89 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1986年 ドラフト1位 |
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初出場 |
1987年9月10日 |
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最終出場 |
1995年6月17日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
|
監督・コーチ歴 |
| |
森山 良二(もりやま りょうじ、1963年7月20日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。
経歴
プロ入り前
福岡大附属大濠高校では入学時からずば抜けた球威を誇り[1]、3年夏の1981年にエースとして夏の甲子園大会に出場。初戦の2回戦で函館有斗を5安打2失点に抑えて完投勝利を収めた[2]が、3回戦で鎮西高校に敗れている。早稲田大学を目指して2年間浪人した後、北九州大学に進学した[3]。
1年秋には外野手としてベストナイン、2年秋の1985年にはエースとして九州六大学リーグで3位に入る原動力となった[4]が、高校時代から注目していた西武の球団管理部長・根本陸夫が接触、入団を打診されて[1]同年で大学を中退。翌年、野球部のないONOフーヅに入社してレストランでレジ打ちなどを行ない[5][1]、1986年11月のドラフト会議では全くといっていいほどのノーマークの中で西武から単独で1位指名を受けた[注 1]。担当スカウトは楠城徹で、契約金と年俸それぞれ5000万円、480万円(いずれも推定)で入団している[6]。
西武時代
打者としての素質にも定評があった[7]が投手となり、1年目の1987年の自主トレーニングの段階から優れた身体能力を発揮し、森祇晶監督にはバランス能力の高さを評価されている[3]。9月10日に一軍初登板を果たすと10月13日にはプロ初先発で初勝利を挙げた。同年の日本シリーズでは第1戦でリリーフとして登板し、1イニングを1安打無失点に抑えている[8]。
1988年は東尾修の出場停止や小野和幸の移籍もあって[9]先発ローテーションに入り、パームボールを武器に前半戦だけで8勝を挙げてローテーションに定着した[10]。躍進には東尾の助言もあったという。後半戦はパームの制球に苦しんだがシーズン通算で10勝し、同年の日本シリーズでは、第4戦で最少被安打のシリーズタイ記録となる2安打完封勝利[10]を収めて優秀選手賞を受賞した。これらの活躍が評価されて新人王を獲得し、オフには1000万円増の年俸1500万円(推定)で契約を更改している[11]。
1989年は肘と肩の故障から2試合のみの登板に終わる。
1990年はオープン戦で好投して先発復帰を目指した[12]ものの未勝利となった。
1991年頃から軟投派への転向を目指す[13]。
横浜時代
1993年開幕直前の3月24日に清水義之との交換トレードで中村日出夫と共に横浜ベイスターズに移籍した。横浜では中継ぎやローテーションの谷間の先発を任され、6月6日の対中日戦で5年ぶりに先発勝利を挙げている[13]。
1995年限りで現役を引退した。
現役引退後
引退後は横浜で一軍投手コーチ補佐(1996年)→二軍投手コーチ補佐(1997年)を務め、横浜退団後は古巣・西武に復帰し、二軍トレーニング&投手コーチ(1998年 - 1999年)→二軍投手コーチ(2000年)→二軍トレーニングコーチ(2001年)→二軍投手兼トレーニングコーチ(2002年)、一軍投手(ブルペン担当)兼トレーニングコーチ(2003年、2006年 - 2007年)、二軍トレーニング兼投手コーチ(2004年 - 2005年)を務めた。2007年はチーム防御率5位に低迷して26年ぶりのBクラスに終わり、10月7日に球団側から翌年は契約しないことを通告された[14]。2007年でコーチの契約が終わり他球団への移籍も白紙になっていたところ、四国・九州アイランドリーグの福岡レッドワーブラーズから監督就任のオファーを受けてこれを受諾[15]。地元での人望が厚く、かつプロでの実績がある点を評価されたという[15]。プロ入りする選手が生まれることを目標に[15]2008年から2009年まで監督を務め、球団がリーグ戦参加を休止したのにともない退団。監督在任中の2008年に投手の金無英が福岡ソフトバンクホークスからドラフト指名を受けて入団した。
2010年からは東北楽天ゴールデンイーグルス一軍投手コーチ(ブルペン担当)を担当。2013年には球団史上初のリーグ優勝・日本一に貢献した。その後、2015年は二軍投手コーチを務め、2016年からは再び一軍投手コーチを担当。2018年6月16日、最下位の責任を取って辞任した梨田昌孝の監督辞任に伴い、ブルペン担当からベンチ担当に配置転換された。
2019年、則本昂大や岸孝之らが長期不在の中、若手の石橋良太を抜擢して3位に導く手腕を発揮[16]。シーズン終了後に契約満了に伴い楽天を退団することが発表された[17]。
2019年11月4日、西武時代に同僚だった工藤公康が監督を務めるソフトバンクの一軍投手コーチに就任することが発表された[18]。背番号は92。
2020年は12球団唯一となる2点台(2.92)の投手陣を率い[19][20]、同年のリーグ優勝、日本一に貢献した。2022年まで同職を務め、2022年は12球団ワーストの与四球474だった[21]。2023年は三軍監督を担当[22]。2024年からはリハビリ担当コーチ(投手)を務める[23]。
選手としての特徴・人物
ドラフト会議における「隠し玉」の例として有名である[24]。大学を中退してアマチュア野球での所属がなかった時期には西武ライオンズのアメリカマイナーリーグへの選手派遣に参加していたとも言われている。現地での登録名はレイモンド・タモリで日系人という設定であった[25]。大学は中退しているが、関連人物として母校での講演に招かれたことがある。
最速143km/hの速球やパームボールに加え、カーブやスライダーを駆使した[26]。また制球が良く速球が低目に決まり[27]、マウンド度胸の良さにも定評があった[26]。
プロでは新人王を獲得するなど活躍したが故障などの苦労も経験し、高圧的にならず後輩に好かれる性格だったと言う[15]。
1988年のオープン戦で中日相手に好投した時、星野仙一監督が試合後のインタビューで「何であんな訳分からんピッチャーに抑えられるんや」とボヤいた。このことが同年日本シリーズ第4戦の完封へと繋がった。試合中ベンチに戻る度に中日ベンチを睨み付けていたと言う[28]。なお、2011年には一軍投手コーチを務める楽天の監督に星野が就任することになり、星野も森山を投手コーチとして続投させている。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1987
|
西武
|
4 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
-- |
1.000 |
43 |
10.2 |
9 |
1 |
1 |
0 |
0 |
6 |
0 |
0 |
4 |
2 |
1.69 |
0.94
|
1988
|
28 |
24 |
10 |
2 |
2 |
10 |
9 |
0 |
-- |
.526 |
706 |
169.0 |
166 |
12 |
41 |
4 |
4 |
77 |
3 |
0 |
72 |
65 |
3.46 |
1.22
|
1989
|
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
-- |
---- |
30 |
5.1 |
11 |
0 |
4 |
1 |
0 |
2 |
0 |
0 |
7 |
7 |
11.81 |
2.81
|
1990
|
7 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
.000 |
64 |
13.2 |
20 |
3 |
6 |
1 |
0 |
8 |
2 |
0 |
13 |
13 |
8.56 |
1.90
|
1991
|
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
-- |
---- |
36 |
8.2 |
11 |
0 |
2 |
1 |
0 |
3 |
0 |
0 |
2 |
2 |
2.08 |
1.50
|
1992
|
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
.000 |
52 |
10.2 |
14 |
5 |
5 |
0 |
1 |
6 |
2 |
0 |
9 |
9 |
7.59 |
1.78
|
1993
|
横浜
|
13 |
10 |
0 |
0 |
0 |
2 |
3 |
0 |
-- |
.400 |
205 |
45.0 |
48 |
9 |
26 |
0 |
0 |
33 |
1 |
0 |
28 |
26 |
5.20 |
1.64
|
1994
|
18 |
4 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
-- |
1.000 |
173 |
41.0 |
45 |
5 |
9 |
2 |
0 |
16 |
3 |
0 |
20 |
18 |
3.95 |
1.32
|
1995
|
5 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
.000 |
48 |
10.1 |
10 |
2 |
8 |
0 |
1 |
5 |
0 |
1 |
5 |
5 |
4.35 |
1.74
|
通算:9年
|
86 |
42 |
10 |
2 |
2 |
14 |
15 |
0 |
-- |
.483 |
1357 |
314.1 |
334 |
37 |
102 |
9 |
6 |
156 |
11 |
1 |
160 |
147 |
4.21 |
1.39
|
表彰
記録
- 初記録
背番号
- 31(1987年 - 1993年)
- 24(1993年 - 1995年)
- 84(1996年 - 1997年)
- 80(1998年 - 2009年)
- 72(2010年 - 2019年)
- 92(2020年 - 2023年)
- 017(2024年 - )
脚注
注釈
- ^ ただし森山によると、当初西武はドラフト外での獲得を目指していたといい、それがドラフト1位指名に変わったのは広島にその意図を嗅ぎ付けられ、ドラフト指名される危険性が生じたためだったという。
出典
関連項目
外部リンク
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監督・コーチ |
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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三軍監督・コーチ | |
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四軍監督・コーチ |
- 011 大越基(監督)
- 024 ナテル(投手)
- 013 森笠繁(打撃)
- 014 笹川隆(内野守備走塁)
- 015 釜元豪(外野守備走塁)
- 016 的山哲也(バッテリー)
- 017 森山良二(リハビリ担当〈投手〉)
- 018 中谷将大(リハビリ担当〈野手〉)
- 012 川越英隆(コーディネーター〈投手ファーム統括〉)
- 020 星野順治(コーディネーター〈投手〉)
- 023 荒金久雄(コーディネーター〈野手統括〉)
- 019 関川浩一(コーディネーター〈野手〉)
- 022 森浩之(コーディネーター〈野手〉)
- 021 井出竜也(コーディネーター〈野手〉)
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業績 |
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---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
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記述のない年は該当者なし |
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
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1980年代 |
- 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰
- 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正
- 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義
- 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清
- 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊
- 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二
- 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実
- 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己
- 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治
- 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸
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1990年代 |
- 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤
- 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎
- 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也
- 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也
- 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦
- 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾
- 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー
- 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛
- 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広
- 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司
|
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2000年代 |
- 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成
- 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満
- 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之
- 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎
- 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信
- 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁
- 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲
- 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博
- 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広
- 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一
|
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2010年代 |
- 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平
- 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩
- 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー
- 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也
- 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太
- 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太
- 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔
- 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大
- 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃
- 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩
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2020年代 |
- 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐
- 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎
- 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆
- 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸
- 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ
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