梅津真
梅津 真(うめづ まこと、1893年(明治26年)1月14日[1] - 1962年(昭和37年)11月12日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴1893年(明治26年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[1]。 1940年(昭和15年)8月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に独立野砲兵第11連隊長(駐蒙軍・第26師団)に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。後套進攻作戦、中原作戦などに参加した[1]。 1943年(昭和18年)8月に陸軍公主嶺学校教官に転じ[2]、1944年(昭和19年)7月に第32軍兵器部長(第10方面軍)に就任した[1][2]。1945年(昭和20年)1月29日に東海軍管区兵器部長兼第13方面軍兵器部長に就任し[3]、3月1日に陸軍少将に進級[2]。終戦時は名古屋に位置した[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 脚注参考文献
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