林茂清
林 茂清(はやし しげきよ、1881年(明治14年)3月22日[1] - 1969年(昭和44年)4月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。 経歴1881年(明治14年)に和歌山県で生まれた[1]。陸軍士官学校第13期卒業[1]。1925年(大正14年)6月18日に陸軍士官学校予科生徒隊長に就任し[2]、8月7日に陸軍歩兵大佐に進級[2]。1928年(昭和3年)3月に歩兵第59連隊長に転じた[2]。 1931年(昭和6年)3月11日に陸軍少将進級と同時に歩兵第16旅団長(第8師団)に着任し[2]、満州事変が勃発すると満州に出動した[1]。1932年(昭和7年)9月に豊橋陸軍教導学校長に転じ[1]、1935年(昭和10年)3月15日に陸軍中将進級と同時に下関要塞司令官に着任[1][2]。1936年(昭和11年)3月7日に待命[1]、3月17日に予備役に編入された[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。 栄典
脚注参考文献
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