林泉寺 (上越市)

林泉寺

山門(奥に本堂)
所在地 新潟県上越市中門前1-1-1
山号 春日山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 明応6年(1497年
開基 長尾能景
法人番号 5110005008948 ウィキデータを編集
地図
林泉寺 (上越市)の位置(新潟県内)
林泉寺 (上越市)
林泉寺 (上越市) (新潟県)
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惣門

林泉寺(りんせんじ)は、新潟県上越市にある曹洞宗寺院である。山号春日山(かすがさん)。越後国守護代長尾氏、およびその後裔である米沢藩上杉家菩提寺として知られ、長尾氏の居城・春日山城の山麓に建立されている。なお、上杉家は江戸時代初期に、移封先の米沢城下にも同名の春日山林泉寺を建立しており、こちらも今日まで山形県米沢市に存在する。

歴史

明応6年(1497年)、越後守護代長尾能景が亡父の17回忌供養のため曇英恵応を開山に拝招して創建した。能景とその子・為景の保護を受けて守護代長尾氏の菩提所として発展した。天文5年(1536年)に為景が死ぬと、為景の末子・虎千代(のちの上杉謙信)が7歳で林泉寺に預けられ、14歳で呼び戻され元服して景虎と称するまで林泉寺の六世住職天室光育から学問を学んだ。景虎がのちに上杉家を継承し上杉輝虎を称すると、林泉寺は上杉家の菩提寺となる。輝虎は七世住職益翁宗謙のもとで参禅し、元亀元年(1570年)に剃髪したとき師のから一字を取って不識庵謙信と号した。

天正6年(1578年)に急死した謙信の遺骸を収めた棺は、謙信の号のもととなった春日山城内の不識院に埋葬されたが、謙信の養子・景勝慶長3年(1598年)に会津へ、慶長6年(1601年)に米沢へと移封されたのにともなって、米沢へと移された。通説では、林泉寺もこれにしたがって移転したとされている[1]。開山以来の袈裟持鉢は上越市の林泉寺に残されており、法統上の正統を伝えている。

上杉家の転封後、春日山城下に残された林泉寺は一時衰退するが、上杉景勝に代わって春日山城主となった堀秀治によって再興され、春日山城主・堀家、堀家改易後高田城に入封した松平氏諸家、18世紀前半から明治維新まで高田藩に在封した榊原家と、歴代の上越地方の支配者により菩提寺として尊崇を受けた。堀家は堀秀重堀秀政堀秀治3代の位牌と墓がある。

江戸時代の林泉寺は、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠から御朱印で寺領224石を授けられ、高田藩主から禁制の特権を与えられていた。寛永年間および弘化4年(1847年)の2度の火災で本堂や山門などが焼失する。

1925年、上杉謙信生誕400年を記念して山門二重門)が再建された。直江津の彫刻家滝川美堂作の仁王像は、台座の高さも合わせると4メートル近くに及ぶ。1997年、開創500年を記念して新たに本堂が建立された。

境内には上杉謙信の墓所、川中島合戦戦死者の供養塔がある。惣門は春日山城の搦手門を移築したものと伝えられ、現存する唯一の春日山城の建築物となっている。また、山門に掲げられた「第一義」の扁額[2]は謙信の直筆である。

交通アクセス

春日山城の山麓に立地する。

公共交通

脚注

  1. ^ 移転説が広く知られるようになったのは、明治45年(1912年)刊行の布施秀治『謙信公と林泉寺』(謙信文庫)によるところが大きい。移転の経緯についてはそれぞれの寺伝に異同があるが、福岡県梅岳寺福厳寺の関係、前橋長興寺長岡長興寺との関係のように林泉寺に似た事例も存在する。
  2. ^ 宝物館で保管され、掲げられているものは複製。
  3. ^ 上越市内公共交通総合時刻表”. 上越市. 2020年4月2日閲覧。

外部リンク