松本恒之助松本 恒之助(まつもと つねのすけ、慶応2年2月29日[1](1866年4月14日) - 大正15年(1926年)6月1日[2])は、日本の衆議院議員(猶興会→又新会→中正会→憲政会)。父は伊勢新聞創業者の松本宗一[3]、曽祖父は津藩郷士の松本安親、弟は衆議院議員の松本宗吾[4]、曾姪孫は歌手・女優のあべ静江[5][6][7]。 経歴伊勢国一志郡矢野村(現在の三重県津市)に松本宗一の長男として生まれる[1]。1883年(明治16年)、同志社に入学するが、1885年(明治18年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に移り、1888年(明治21年)に卒業した[1]。卒業後は郷里に帰り、伊勢新聞社の経営にあたった[1]。また、津市会議員に選出された[2]。 1904年(明治37年)、衆議院議員に補欠当選[8]。第12回衆議院議員総選挙に至るまで連続4回当選を果たした。 その他、伊勢銀行取締役、津電灯株式会社取締役、大日本軌道株式会社取締役、伊勢鉄道株式会社社長、北海道拓殖銀行監査役、三重県農工銀行監査役などを務めた[2]。 家族・親族
脚注
参考文献
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