松平忠彊
松平 忠彊(まつだいら ただかつ)は、江戸時代中期の上野国小幡藩の世嗣。別名は乙五郎。 略歴安永5年(1776年)、2代藩主・松平忠福の三男として誕生。 寛政元年(1789年)、同母兄・忠房が早世したため代わって嫡子となり11代将軍・徳川家斉に初御目見した。しかし、官位の叙任はされなかった。寛政10年(1798年)、家督を継ぐことなく早世した。 代わって甥・忠恵(忠房の長男)が嫡子となった。 系譜 |
松平忠彊
松平 忠彊(まつだいら ただかつ)は、江戸時代中期の上野国小幡藩の世嗣。別名は乙五郎。 略歴安永5年(1776年)、2代藩主・松平忠福の三男として誕生。 寛政元年(1789年)、同母兄・忠房が早世したため代わって嫡子となり11代将軍・徳川家斉に初御目見した。しかし、官位の叙任はされなかった。寛政10年(1798年)、家督を継ぐことなく早世した。 代わって甥・忠恵(忠房の長男)が嫡子となった。 系譜 |